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氷麗《つらら》 -1-
校内リンチなんて、漫画でしか見ないと思うことなのだが、まさか自分が遭遇するなんて星の数の確率ではないだろうか。
その日、神宮佑がいつも通りに渡り廊下を歩いていると、物騒な声が外から聞こえてきた。声の主は柱の横に隠れるように佇んでいるから姿が見えないのだが、リンチの時のお決まりに近い言葉が聞こえて来ている。佑は耳を済ませるようにして、窓に近寄ってみた。
「てめぇ、言わねぇと噛みちぎるぞ」
それは、想像以上に物騒だった。女子が使う言葉としては、圧倒的に選択されないであろうその言葉には、刃物のような鋭さが秘められている。そして、その後に続けて聞こえてくるのは、殴りつけているような音。
『ご、ごめんなさい。ごめんなさい…』
「謝って済まねぇんだよ。お前の腕でも足でも今すぐ斬り落とせ！」
いや、流石にそれはちょっと。そう佑が思っていると、弱々しい声の主が『今この刃物で…』と言い出した。これはまずいぞと思って、佑は一瞬たじろぐ。しかし、物騒な女子は続けた。
「やれ。できないなら…」
「そこまで！」
流石に見ていられなくて、窓から飛び出すようにして女子が振り上げた拳を佑は掴んだ。そして、絶句した。
―――冷たい！
掴み取った手の冷んやりとした感触は、およそ生きている者の体温ではない。ぞわり、と首の後ろの産毛が逆立つような不気味な冷たさ。
「なんだよ、てめぇ」
「なっ…」
佑に掴まれた手を振りほどこうと、振り向いた女子は、同じクラスで校内一番の高嶺の花。学校一の美少女と謳われる灰原美香だった。
「灰原！？」
佑が驚いて声をあげ、慌ててその手を離す。灰原と呼ばれた少女は、佑を睨み付ける。佑が目を白黒させているうちに、灰原は殴っていた人物を見た。いや、正確には、佑はそこにいた大きな一つ目と目が合った。
「あ…」
『げっ…お、陰陽師…！』
佑が気まずそうにするのと、一つ目が顔をひきつらせるのが同時だった。灰原が、そんな佑と一つ目を交互に見て、面白そうに口の端を持ち上げる。
「へぇ。お前、こいつが見えるのか？」
灰原が歪んでもなお美しい顔で佑を見る。それには答えずに、一つ目に《とりあえず逃げろ》と目配せをした。灰原は答えない佑に急に怒り始めて、ずいと近寄ってくると窓越しに胸ぐらを掴んできた。
「おいてめぇ。見えてるのか聞いてんだよ。答えろ」
「あ、と。いや…ごめん！」
一つ目が消えたのを見てから、佑は灰原の手を振りほどいて、一目散に渡り廊下を抜けた。「待てこら！」という怒声が追ってきたのは最初の数秒だけで、後は何も聞こえなかった。
佑は全速力で教室に戻ると、息を整えて自分の席に着く。数分後に、数学教師が現れて、号令がかかった。礼をして着席をしてから、プリントを配るついでにゆっくりと左後ろの四つ目の席を見た。
灰原は、何食わぬ顔で着席していた。
先ほどまでの暴言と暴行は何処へやら、美しい顔で着席しているさまはまるで生きた人形のように整っていた。佑が、見間違いだったかと思った次の瞬間。灰原と目が合った。彼女は、口の端に笑みを乗っけて、そして佑を射抜く。
《後で覚えてろよ》
灰原の口が、そう動いた。まるで呪詛のようなその口の動きに、佑は背筋が凍った。授業中、佑は灰原にずっと見つめられているかのようで、黒板に集中などできるはずもなく、背中に突き刺さる冷たい視線の方が気になって公式が頭に入らなかったのはいうまでもない。
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