氷麗《つらら》 -1-

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氷麗《つらら》 -1-

 校内リンチなんて、漫画でしかないシチュエーションじゃないだろうか。  だから、まさか自分が遭遇するなんて星の数の確率だと思う。  ……しかも、女子がリンチしているなんて。  その日神宮佑(かんのみやたすく)は、先生に頼まれたプリントを職員室届け終えると、教室に戻るため渡り廊下を歩いていた。その時に、物騒な声が外から聞こえてきた。  見ると、声の主は柱のせいで姿が隠れてしまっているので姿は見えない。  ただ、そういうシチュエーションではお決まりに近い言葉が聞こえてきた。佑は耳を済ませながら窓に近寄った。 「ーーてめぇ、言わねぇと噛みちぎるぞ」  ……想像以上に物騒だ。  女子が使う言葉としては、圧倒的に選択されないであろうパワーワードに、眉をひそめた。聞こえてきた声は、刃物のような鋭さが秘められているようだ。  どうするべきか逡巡していると、続けて聞こえてきたのは、なにかをボコボコと殴りつけているような音。 (うわぁ……)  絶対、相手を叩いているに違いない。 『ご、ごめんなさい。ごめんなさい…』 「謝ったとこで済まねぇんだよ。お前の腕でも足でも今すぐ斬り落とせ!」  いや、流石にそれはちょっと、と胸中で突っ込む。  けっこうヤバいかなと思っていると、脅されたほうが『今この刃物で……』と言い出した。  これは本格的にまずいぞと思って、佑は一瞬たじろぐ。しかし、物騒な女子は続けた。 「やれ。できないならーー」 「そこまで!」  さすがに聞いていられなくて、佑は窓から飛び出して女子が振り上げた拳を掴んで止めた。しかし。  ――冷たい!  掴み取った手の冷んやりとした感触は、およそ生きている者の体温ではない。  ぞわり、と首の後ろの産毛が逆立つような不気味な冷たさ。 「なんだよ、てめぇ」 「なっ……! 灰原?」  佑に掴まれた手を振りほどこうと、振り向いた女子は、同じクラスで校内一番の高嶺の花。  学校一の美少女と謳われる灰原美香(はいばらみか)だった。  佑は驚き、慌てて彼女の手を離す。灰原と呼ばれた少女は、不穏な様子で睨みあげてきた。  佑は状況が飲み込めず、灰原に殴られていた人物を見る。彼も、こちらを向いてきた。  いや、正確には、佑はそこにいた()()()()()()と目が合った。 「あ……」 『げっ……お、陰陽師!』  佑が気まずそうにするのと、()()()が顔をひきつらせるのが同時だった。  灰原が、そんな佑と一つ目を交互に見て、面白そうに口の端を持ち上げる。佑に一歩詰め寄ってきた。 「へぇ。お前、こいつが見えるのか?」  その質問には答えず、佑は一つ目に《とりあえず逃げろ》と目配せをした。灰原はずいずい近寄ってくると、佑の胸ぐらを掴んできた。 「おいてめぇ。見えてるのか聞いてんだよ。答えろ」 「あ、と。いや〜……ごめん!」  一つ目が消えたのを見てから、佑は灰原の手を振りほどいて、一目散に渡り廊下を抜けた。  「待てこら!」という灰原の怒声が追ってきたのは最初の数秒だけで、そとあとは、なにも聞こえなかった。  佑は全速力で教室に戻ると、自分の席に着いて息を整える。  数分後に数学教師が現れて、号令がかかった。礼をして着席をしてから、プリントを配るついでにゆっくりと左後ろの四つ目の席を見る。  灰原は、何食わぬ顔で着席していた。  先ほどまでの暴言と暴行の面影は一切ない。美しい顔で着席しているさまはまるで生きた人形のように整っていた。  先ほどのリンチは見間違いだったかと思った次の瞬間、灰原と目が合った。  彼女は、口の端に優雅な笑みを乗せ、そして佑を射抜く。 《ーーあとで覚えてろよ》  灰原の口が、そう動いた。  まるで呪詛のようなその口の動きに、佑は背筋が凍った。  背中に突き刺さる冷たい視線の方が気になって、黒板に書かれた公式が頭に入らなかったのはいうまでもない。
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