哲学をいまさら述べてもな……

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哲学をいまさら述べてもな……

 他の作品で、あの世を中心とした日記みたいなものを書いているが、私はそもそもこの世で生きており、この世界のことに熱中すると、向こうの世界のことは(おろそ)かになる――ネタがなくなる。  というわけで、この世界のことも含めて日記を書いていこうという試みだ。表題の通り、哲学をいまさら述べる必要もないが、心にしみた言葉を今日は書き記しておこう。  私は以前、飲み歩くことが好きだった。酒が入ると、警戒心は自然と少なくなるもので、隣の席にたまたま座った人と話をする――なんてこともよくあった。  いろんな話を聞いた中で、かなり年配の方が言っていた言葉を今も思い返す。  それは、(ぜん)の話だ。正座して静かに座っているが、心が乱れると肩をパンと叩かれる――あれである。問題は、どうして心が乱れるかだ。  例えば、花が目の前に咲いているとする。それを見て、人はこう思うのだ。  綺麗な花だな。  なんていう名前の花なんだろう。  あれを持って帰りたいな。  育ててみたいな。  これが心の乱れになるのである。つまり、感情で動いてしまう脳になっているのだ。禅の教えはただ、  花が咲いている――。  これだけだ。その先を考えると、欲が出てくるのである。これを他の物事に置き換えると、こうなる。  私は現代医学では治らない、精神病を患っている。これを、禅の考え方にすると、  病気である。  ただそれだけだ。  だが、人間、これがなかなかできないのである。  私は障害者になってしまった。  一生、薬を飲み続けなければならない。  健常者のようにできることが少ない。  悲しい……などなど。  しかし、年齢を重ねると、禅のような考え方ができるようになるものだ。今では、ただの事実として捉えているだけ。感情は乗せない。  いい言葉を教えていただいたと、その方に会えないながらも感謝しよう。  2020年6月17日、水曜日。  ――追記。  今日は子供達の夏休みの期間が決まった。七月一日から九月三十日までだ。三ヶ月丸々ある。子供たちは大喜びだ。(可愛い)  
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