case.3 淫魔

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「そういえばこの店の名前って、なんて言うんだ?」  それは、優太(ゆうた)がバーで働きはじめてから、二週間ほど経ったときのことだった。  優太がここで働き始めたあの日からすっかり常連になってしまった酒呑童子(しゅてんどうじ)(てん)が、不意に言った言葉から始まった。 「えぇと……」  優太はちらりとここのバーテンダー兼オーナーである九条(くじょう)を見やった。  何を隠そう、優太もこの店の名前を知らなかった。  働きはじめて二週間経つのに、だ。  看板も出ていない店だから仕方ないと言えば仕方ないのかも知れないけれど、自分が働いている店の名前くらいは知っておきたい。  優太は九条の返答を待った。  しかし。 「名前? ないよ?」 「「は?」」  九条のまさかの回答に、優太と天は同時に声を上げた。 「ここは、ただのバー。名前なんてないよ。ていうか、いる?」 「いやいやいやいや、名前がないのはどうかと!」  優太の抗議に、九条は「えー?」と首を傾げた。    このBarで働きはじめて二週間で分かったこと、その壱。  九条は超適当な性格だ。  ──それにしたって、店舗名がないのはいくらなんでも適当すぎる……。  店舗名がないのはおかしいし、それより何だか寂しい。 「じゃあさー、ユタくんが考えてよ」  九条が名案とばかりに手をポンと叩きながら言った。 「え? お、俺がですか?」 「そう。僕はそもそも、店舗名を考えるっていう頭すらなかったし。ユタ君ならいい名前を付けてくれそうだからさ」 「えぇ……そこはオーナーが付けませんか?」 「いいじゃないの。ねぇ、天くん」 「……まぁ、九尾狐(きゅうびこん)が考えた名前より、ユタが考えた名前の方がいいな」 「えぇぇ……」 「ということで、よろしくね」  何故か、優太が名前を決める事になってしまった。  ──何故だ……。  優太は項垂れた。  サラリーマン時代も、企画自体は通っても企画名がことごとく通らなかったくらいネーミングがない優太にとって、店舗名を考えるのはハードルが高すぎる。  ──そもそも、店舗名を聞き出したの、天さんなのに、何で俺?  そう思い、「天さんに決めてもらえばいいじゃないですか」と言おうと口を開きかけたが、それは「おいーっす!」というロウの声に阻まれてしまった。  毎日来る常連さんだから来るとは思っていたけれど、タイミングが悪すぎだ。 「おう、ユタ。元気か?」  しかし、来る度にこうして真っ先に優太に声を掛けてくれるロウに文句を言う気にはなれなかった。 「はい」 「よし。おい、九条。ビールと何かつまみくれ!」 「りょーかい」
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