むらさきいろお父さん

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 翌朝、学校へ向かう途中、解体工事の現場を通りがかった。  大きな工場を壊している途中で、鉄筋コンクリートの中身がむき出しになっている。  ふと、ひらめくものがあった。  私は人目をかいくぐって瓦礫に近づき、そこから飛び出していた鉄筋を一本掴んで引っ張った。これは、先にコンクリートの塊がくっついていて、引き抜けなかった。  別の一本を引っ張る。こっちは、長さが一メートル以上あるまっすぐな鉄筋を引き抜くことができた。先端がカギ型に曲がっていて、ここを叩きつければかなりの殺傷力が得られそうだ。  私は解体現場の敷地を出て、道路に戻る。 「……え、何してるの、そんなところで」  いきなりそう言ってきたのは、同級生の女子の、丹羽さんと春日さんだった。二人ともかわいらしい容姿で、クラスでも人気者の、私とは特に仲良くはない。 「それ、何持ってるの? 鉄棒?」と春日さんが指差してくる。  そうだ、と言おうとした。でも、その後はどうしよう。何に使うのかと訊かれたら。そう思うと、声が出ない。 「やだあ、黙らないでよ。ただでさえ鉄面皮なんだから、そんなの持ってたらなおさら怖いじゃん。表情なさすぎ」と丹羽さんが引きつって笑う。  おかしいかな。そりゃ、おかしいのだろうな。じゃあ、分かってもらう必要もないし、説明もしなくていいな。 「あ、ちょっと!?」 「学校逆だよ!?」  口々に言ってくる声を無視して、私は家へ向かって駆け出した。  強い逆風が吹きよせ、私の髪をばらばらに散らばせる。  あの「父」は、近づけば糸で人間を無力化してしまう。けれど、長く、硬く、重いもので、障害物の陰から思い切り殴ってやったらどうだろう。  そうだ、最初にあの糸の吹き出し口を狙うのだ。あそこを潰してしまえば、あれはただの紫色をした細めの(たわら)だ。  走っているうちに、涙が出てきた。  何がお父さんだ。お父さんというのは、私を作ったり、育てたりする人だ。どっちももういないのなら、私の人生には父親なんて欠けていたって構わない。  馬鹿にするな。  初めてあの紫色の化け物がうちに来た時。その姿を見る前、新しい父親がくるとお母さんから聞いた瞬間、面倒くさいことになったなと思うのと同時に、私はほんの少しだけ喜んでしまった。  その時の喜びを、宝物を綿でくるむように、どうしても傷つけたくなくて、今日までを見て見ぬ振りをしてきた。その度に、傷つけたくなかったはずの大切なものは、見る影もないほどヒビだらけになっていったというのに。  屈辱だった。  私は、帰り着いた団地の階段を一段飛ばしで駆け上がった。  荒い息をついて、自分の家のドアの前に立つ。表札が目についた。私の苗字。そういえば、私を名前で呼ぶ人はもういない。下の名前で呼んでくるほど親しい友達はおらず、弟からは姉と呼ばれ、母親は消え、父親はいない。  もう誰からも、名前を呼ばれることなんてないんじゃないかと思った。  ドアノブをつかみ、手前に引く。  その時。 「小野木(おのぎ)。小野木優奈(ゆうな)、だよな?」  聞き覚えのある声で呼ばれ、私は振り返った。団地の狭い外廊下に、高品くんが立っている。驚きのあまり、思考が停止した。
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