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第1話 婚約者の家名を間違えるなんて
「アゼリア・フォン・ホーへーマイヤー、俺はお前との婚約を破棄する!」
煌びやかな王宮のシャンデリアの下、美しい赤い髪の美女が首を垂れる。彼女へ向けて言い放った男も顔立ちが整っていた。金髪碧眼、まさに王子様という豪華な衣装に包まれた青年だ。
この国の王太子ヨーゼフは、傲慢に顎を反らして美しい婚約者に破棄を申しつける。その腕に愛らしい少女を引き寄せながら。
王宮での夜会は、婚約者のエスコートがマナーだ。最低限のルールと言ってもいい。それすら行わず、このような騒動を起こした王太子に対し、公爵令嬢のアゼリアはきちんと礼を尽くした。淑女の礼を終えてから顔をあげ、口元を扇で隠して溜め息を誤魔化す。
この馬鹿がまたやらかしましたわ。頭のネジが数本足りないヨーゼフの尻拭いは、もううんざりです。呆れ果てたアゼリアの声は尖ってすらいなかった。彼に対してアゼリアが怒ることはない。そんな時期はもう過ぎていた。
今は達観し、淡々と間違いを直すだけの日々である。
「王太子殿下、我が家名はへーファーマイアーですわ」
くすくすと周囲の貴族から失笑が漏れる。睨む王太子の目が向くと扇やグラスで顔を隠すが、貴族達も辟易としていた。
この色ボケした馬鹿が王太子とは国の恥だ。誰もがそう思うのに廃嫡されない理由は、ひとえに国王の子が彼1人だから。他に何も理由はなく、文武無道の顔だけ男と揶揄されるほどだ。
文武両道なら救いもあったが、両方無いので「無」と文字を置き換えて造語を作ったのは、誰あろうアゼリア自身だった。こっそりお茶会で披露したところ、あっという間に国民まで知る事態になったのは誰もが賛同した結果だ。
当の本人は無学が功を奏し「無双」の無だから、文武ともに俺が最高だと勘違いしている。頭の緩んだ美男子だった。
これで王太子ではなく、伯爵家以下の下級貴族の子であったなら、まだ可愛がって拾ってくれるご婦人もいたかも知れない。どこぞの未亡人が哀れに思って拾って躾けてくれただろう。
「う、うるさい! 俺がホーホーヤイマーと言ったら、そう名乗るのだ!」
「無理ですわ」
また家名が変わってますもの。お相手するこちらが疲れます。へーファーマイアーの家名は、王家より古いんですのよ? アゼリアの呆れ口調に、同情の視線が集まった。
燃えるような赤毛に合わせ、今日は黒いドレスにしていた。王家の婚約者らしく肌を見せないようレースで隠し、裾が広がり過ぎないよう上質の絹で作られたドレスはシンプルだが高級品だ。
胸元を飾るのは、琥珀色の宝石達。様々な貴石が輝きを変えながら並べられ、淡いグラデーションを作っていた。同じ石を使った耳飾りも揺れる。
琥珀にも見える金瞳の公爵令嬢は、高嶺の花だった。幼い頃からその際立つ美貌は有名で、他国の王侯貴族からの婚約打診は引きも切らない。王太子の婚約者となった今も打診が続いているのは、あの国は長くないから我が国へ……という亡命への期待もあった。
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