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第184話 なんで生きてるのよ
満足のいく買い物が出来たと店を出た一行を、離れた馬車の窓から睨みつける女性がいた。苛立った彼女の手がクッションを投げる。向かいに座る執事が難なく受け止めた。
「なんで生きてるのよ、あの女」
死んだって聞いたわ。だから次は私にチャンスが来ると思ったのに、生きて街で買い物してるなんてどういうこと? 葬儀のために火葬用の塔を建てて、つい先日燃やしたじゃない。生きてるなんて詐欺よ!!
心の中で叫んで、ひとまず気を落ち着けるために窓のカーテンを閉めた。薄暗い馬車の中で、御者に合図を出す。屋敷に帰るよう命じる執事の声を聞きながら、カバ獣人のご令嬢は丈夫な歯をぎりりと鳴らした。
「お嬢様、お行儀が悪いですよ」
執事が淡々とした声で嗜める。幼い頃から兄代わりの狼獣人である執事に、女性はヒステリックに八つ当たりした。手当たり次第にクッションや靴、扇などを投げつける。
俊敏さを発揮した執事は全てを受け止め、隣の空き座席に積み上げた。
「いい加減になさいませ。誇り高きゾンマーフェルト侯爵家のご令嬢に相応しく、気品と言動をなさいますよう……凛と姿勢を正しなさい」
かつてダンスとマナーを教えてくれた教師でもあった執事の叱咤に、ご令嬢はぴしっと背筋を正した。もう条件反射に近い。
「でも……」
「言い訳は見苦しいですよ。他人の不幸を喜んでもいけません」
正論だが、ゾンマーフェルト侯爵令嬢は頬を膨らませて不満を表明した。返された扇を広げて顔を隠すことは忘れない。
「私は王妃になりたいの」
「ですが国王ノアール様が選んだのは、ブリュンヒルデ様です。お子もいらっしゃる。いい加減に諦めてください」
冷たく突き放す狼執事を睨みつけ、ご令嬢と呼ぶには少し年齢を重ねた女性は溜め息をついた。かつてブリュンヒルデと王妃の座を争った美女も、もう嫁き遅れと表現される年齢になった。それでも他の貴族から持ち込まれた縁談を断り続ける。
「はぁ……わかってるわ。でもね、今の私が条件の良い縁談を組めると思う?」
本音で話されると、執事も役職を脱ぎ捨てて幼馴染として本音を返す。主家に乳母として入った母を通し、一緒に育てられた彼は気丈に振る舞う彼女の弱さを理解していた。
口では誤解される強い言葉を吐くのに、すぐに嫌われなかったか心配してしまう。ダンスに誘った伯爵令息の手を振り払って傲慢に振る舞った翌日、失礼だったと悩みすぎて嘔吐するような女性なのだ。
「弟君が跡を継がずに外へ出ましたので、お嬢様が婿を取って侯爵家を継いだら旦那様も安心なさいますよ」
「……あなたより素敵な男がいたらね」
理想が高すぎて、乙女ちっくな夢を捨てられない。自分の欠点を挙げ連ねるご令嬢に、執事は陰で溜め息をつく。
走り去る馬車の紋章を見た王妃が、目を細めて隣の姪と不穏な会話をしていたことなど……彼らは知るよしもなかった。
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