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第185話 お嬢様なりの事情
ゾンマーフェルト侯爵家の屋敷は王城から見て東側に位置する。大型の猛獣に分類されるが、カバは大人しいことでも知られる動物だった。その獣人は数が少なく、しかし途絶えることなく存続している。王都防衛の要として、守護の侯爵と呼ばれる家柄だった。
シャルロッテは、王都の警備隊の頂点に立つ父に「いつか王妃になれ」と言われて育った。教育の内容も王妃として立つことを前提に用意され、彼女はその敷かれたレールに沿って成長する。美しさだけでなく、聡明さや優雅な所作を兼ね備えた女性なのだ。
多少きつい性格をしているが、それは現王妃のブリュンヒルデも同様だった。水魔法を得意とする彼女は、王妃候補に昇りつめたが……ノアール国王が選んだのはブリュンヒルデだ。その時点で、シャルロッテは自分の存在価値と未来を見失った。
王妃に選ばれなかったことを父に詰られ、ぎすぎすした家を嫌った弟は騎士として外へ出てしまう。すでに亡き母が生きていたら、何か違ったのかしら。
見上げる立派な屋敷は、まるで牢獄だ。弟を連れ戻そうと父は必死だが、おそらく無理だろう。執事を務める乳兄弟の言う通り、覚悟を決めて婿を入れなければ家が途絶えてしまう。
「こんな家、いっそ盛大に滅びればいいのに」
こんな家を後生大事に守る必要性が理解できない。吐き捨てたご令嬢に執事は肩を竦めた。
「お嬢様が望まれるのなら、それもいいでしょうね」
反論しない幼馴染を振り返り、シャルロッテはしばし考え込む。自分は何を望んできたのか――王妃になりたいという望みは、父の押し付けと刷り込みによる勘違いかもしれない。そもそも王妃になって何がしたいと思ったことがなかった。
国王ノアールを愛しているかと問われれば、首をかしげる。狐獣人が王家の血として認められるのは、複数の尻尾を持つ化け狐の子孫だからだ。ここ数代は尻尾は1本で、あの有能な王姉カサンドラでさえ2本に届かなかった。
兎獣人のブリュンヒルデが生んだ王子も尻尾は1本。カバ獣人の自分が嫁いだとして、2本に増やせる自信はない。ならば自分が王妃になる理由は何もなくて……。
「お茶が飲みたいわ」
「お部屋にご用意します」
何のお茶か、どんな茶菓子が必要か。口にしなくても理解して用意する有能な執事の背を見送り、シャルロッテは大きく深呼吸した。部屋の窓際に置いたお気に入りの長椅子に座り、運ばれたお茶に口をつける。薫り高い紅茶は気持ちが落ち着くハーブティだった。
「ねえ、婿を取るなら誰がいいかしら」
お茶菓子を取り分ける執事に尋ねる。普段なら考えられない所作で、がちゃんと食器が音を立てた。耳障りな音が、ひどく心地よく響く。にっこり笑って、シャルロッテは再び同じ意味の問いかけを繰り返した。
「私の夫になれる人って、誰かいた?」
焦った様子で、やや乱暴に菓子が並べられる。目の前に皿を置いた執事の手を握り、シャルロッテは意味ありげに微笑んだ。
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