評論家シューマン

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評論家シューマン

ウィーン初演の翌年1829年出版されたショパンの作品2について、シューマンが「諸君、帽子を脱ぎたまえ! 天才だ」と絶賛しました。掲載された評論誌はドイツじゅうで読まれ、ショパンの名は新進気鋭の作曲家として認知されたのでした。 この評論自体が音楽史的にショパンとシューマンについて語られる一番のエピソードで、決して欠かせないものとなっています。 というのもポーランド生まれのショパンは、この有名な評論が出る頃ドイツではまだまだ知られていませんでした。 伝記を繰り返し読みますと、今ではまったく知られない作曲家が人気を得ていたりして、もっと古くはバッハもそうですが時代を超えて残る芸術が発表当時は受け入れられない、ということは珍しくありません。 シューマンが評論を行った背景には、ドイツ楽壇の大衆迎合的な流れを止めたい、新旧とも価値あるものを埋もれさせず世に知らしめたい大望があったのです。 もう少し具体的に申せば、何曲かお涙頂戴のアリアに筋も楽曲もスカスカな作品が堂々と演目になりました。音楽の素人が評論を雑誌に書いては、若い音楽家の芽をつむようなこともありました。こんな酷い状態を放置できない、とシューマンやその仲間たちは夜な夜な気勢をあげていたのです。 ショパンにも素人批評家の矛先が向けられたことに対し、ショパンにひれ伏さんばかりのシューマンは怒り心頭でした。 今も語り草になる「作品2」の評論はこのような背景があって、世に出たのです。
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