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作品2の評論について
ショパンの「作品2」についての評論は「音楽と音楽家」という故吉田秀和の名訳で読むことができ、ひとつめにあります。
シューマンが生み出した架空の人物穏やかなオイゼビウス、情熱家フロレスタン、冷静なラロ先生が作品について語るスタイルで評論は書かれ、しばしば妄想癖と揶揄もされますが、おかげで今読んでもかなり面白いです。それぞれのキャラクターがはっきりしていて、会話が続くのですから。広く読まれるためのシューマン独自のアイディア、これがなんと200年ほど前のこととは。
具体的にショパンの作品2をどう書いているのか。少しだけ触れてみます。
「諸君、脱帽したまえ天才があらわれた」と楽譜を持って現れるのは、穏やかなオイゼビウスです。オイゼビウスが弾いて聴かせると、フロレスタンはしばし陶酔してしまって言葉もなく、やがてこれはシューベルトかベートーヴェンの作品ではないか?と問いかけます。
楽譜の表紙を見ると、未知の作曲家。まだ2番目の作品なのに大家のような才能を発揮している、色めき立ち彼らはラロ先生の家に楽譜を抱えて押しかける。
そして、作品2の詳細について書かれています。原曲はモーツァルトのオペラなので、ショパンの変奏のどの部分が何を現しているか推測しています。
例えば、第二変奏では恋人がさかんに追いかけ合って、高笑いに興ずる、とありますし、ほかに下僕が立ち聞きしているところ、そそのかすところ、接吻するところなど。
シューマンがオペラの内容とショパンの変奏作品をどれだけ情熱を注いで見つめたことか、想像すると胸が熱くなります。
文庫本で5ページの短い文章ですから、興味をお持ちでしたらご一読をお勧めします。
この評論をもとにクララの父ヴィークも評論を書いています。もとにしているので、内容はよく似ていますが全体に大げさになっています。ヴィークの評論を送りつけられたショパンは、想像力がたくましすぎると困惑する手紙を友人に書き送っています。
シューマンとヴィークの書いた評論は別であることははっきりしていますが、
ふたつを混同している記述が今日でもあります。そうするとシューマンの評論に対しショパンが困惑したという誤解が生じてしまいます。
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