双子座の片想い

2/25
前へ
/25ページ
次へ
<2>  俺の本名は小沢冬馬。  ・・いや、旧姓と言うべきか。  母は俺が物心つく前に父と離婚し、シングルマザーになっていた。  小沢は母の生家の名字だ。  俺の父親だった人は一族共々時代遅れの亭主関白主義の人で、しかも「浮気は男の甲斐性、浮気するのは嫁の不出来」なんて、今の時代だったら裁判にでもなりそうな事を平気で言ってのける、それこそ”絶滅危惧種”みたいな奴だったらしい。  母は離婚後も、離婚前から続けていた看護師の仕事で俺を育ててくれていた。  俺の父親は当然の様に女を作って家を出て行き、その女に子が出来ると養育費すら払わなくなった。  それでも母は、文句ひとつ言わずに夜まで仕事を掛け持ちして、俺を必死に養って育ててくれていた。  そんなある日。  俺が小学6年になって半年くらいした頃、一人の男の人を連れて来た。  「この人と再婚したいの、いいかしら冬馬?」  躊躇いがちに開かれた母の口からは、おおよそ想像通りの答えが返って来た。  「君とお母さんを、是非私の家族として迎えたい」  俺にそう言ったその人は、若干12歳の俺の目からもかなり真面目そうに見えた。  (この人なら大丈夫だろう)  俺は当然、母の負担を減らせるのならと二つ返事でOKした。  ・・・それが開業医をしていた現在の父、高萩明憲だった。    高萩家は祖父と祖母、そして父である高萩明憲と高校生の一人息子がいた。  祖父は診療中に心筋梗塞で倒れ、そのまま寝たきりになってしまった。  父の前妻だった人は、10年にも及ぶ長い祖父の介護に疲れ果て、男を作って夜逃げしたのだそうだ。  その祖父は去年施設で亡くなった。  祖母は当時、まだ健康でぴんぴんしていたのだが、  「これ以上若い世代に迷惑を掛けたくはない」  と告げ、自身で調べた介護施設に身を移して隠棲し、もう5年になるらしい。  父と母は、互いの知己からの紹介で知り合ったのだそうだ。  父と母は互いにテニスを趣味としていた。  テニスだけは唯一の心のよりどころだったのか、どんなに忙しくても母が趣味のテニスだけは続けていたのを覚えている。  そればかりではなく、互いの考え方や生き方なんかも似ていたらしい。  父も母も余り派手な事を好まず堅実、最終的に「老後は田舎でのんびりと」というまだ随分先の話で意気投合したのだそうだ。  その後、再婚した母と俺は高萩家に厄介になる事になった。  高萩家は父も息子もアルファ、俺もアルファ。  再婚する俺の母だけがベータだった。  俺が高萩家に入る事で、希少なアルファの後継ぎが一人増える。  ・・・だから尚更、望まれての結婚だった筈だった。    「ようこそ、俺は高萩春樹。・・ああ、もう苗字も君と同じだから、名乗らなくてもいいのか」  玄関で俺たちを待っていてくれて、その場で手を差し出して来た優しげなその人は・・・男性だというのにとても綺麗な人だった・・。  俺はその時、うっとりとその人に見とれていた。  それと同時に周囲になぜか、花の蜜の様な芳しい香りが急に充満しだした・・。  それが何処から発せられてるのかなんて・・・12歳の俺には想像もつかない事だった。  しかし・・・。  直後、身体に異変が起きた。  頭が酷くガンガンする。  心臓のバクバクと言う音が急に聞こえてきた。  動悸が異常に早い。  呼吸がしづらい。  めまいがして立っていられない。  次第に視界がぐるぐる回り出した・・。  何故かその時、股間が痛くて仕方無かったのを覚えている。  俺はあの時、差し出されたその手を取る事無くそのまま蹲り、遂には倒れて失神してしまった。  ・・・・らしい。  その時の記憶は流石に残ってはいないから、母に聞いた話では「そうだったらしい」としか言い様が無い。  それなのに。  ・・・遠ざかる意識の奥で、俺は確信してしまった。  あの人が、俺の運命の人なのだと。  俺の番はあの人なのだ、と。  俺はあの瞬間から、兄であるあの人に恋をしてしまったのだ。    そのまま、丸一日俺は寝ていたらしい。  俺の部屋としてあてがわれた二階の自室で。  その後、目を覚ました俺に父が深々頭を下げて謝罪してきた。  「すまなかった。今回の君の体調不良は、私の不覚だ」  だがしかし。  弱冠12歳、小6の俺が今日から父親になる筈の人に急に頭を下げられても・・ただただ動揺する事しか出来ない。  「どうしたの・・お、お父さん?俺、何が何だか分からないんだけど」  咄嗟に父の隣に立つ母の顔を見た。  母は疲れた表情で、小さく溜息を吐いて力無く笑うのみだった。  ・・事の顛末はこうだ。  あの時、急にフェロモンの匂いが充満しだしたらしく・・医師でありアルファである父は、真っ先にその異変に気付いたそうだ。  しかし、そんな物を経験した事の無い小学生の俺は、急に当てられた濃厚なフェロモンで体調を崩して倒れてしまったらしい。  ・・・だが、それはおかしい。  その場にいた男三人は皆アルファ、母はベータだった筈だ。  誰もが知っている通り、フェロモンはオメガが発するモノの筈。  その場にいた四人は全員オメガでは無かった。  いくら何でも、それ位は俺でも知っている。  5年の保健体育でちゃんと習った。  その旨を父に問うと・・・・。  途端、父と母が顔を見合わせて口ごもってしまった。  ・・・ふと、俺は気づいた。  「俺のお兄さん・・・春樹さんは、どこに行かれたんですか」  そう質問を投げかけた。  「・・・・・・」  何故か、父も母も顔を伏せて俺と目を合わそうとしない。  その時。  「ごめんね、どうやら俺はオメガだったらしいんだ」  部屋の扉の向こうから、春樹さんが顔を出した。  だが・・様子がおかしい。  扉にしがみついていて、身体がふるふると震えている。  何故か息も荒い。  顔も赤く・・春樹さんの方が具合が悪そうに見えた。  「・・春樹さん、具合が悪いんですか」  春樹さんは・・俺が投げかけた答えに身体をビクンと揺らすと、きつく身体を押さえて、そのままずるずるとその場に蹲ってしまった。  「・・・はあっ・・はア・・・・は・・・・・」  苦しくて吐いている筈のその吐息は、何故か色味を帯びていたように感じた・・。  父の表情が露骨に一変する。  「いかん、また・・・!」  察知した母が素早く動き、  「春樹さん、今あなたはここに居ちゃダメよ。部屋に戻りましょう」  兄に肩を貸し、どうにか立ちあがらせてそのまま連れて行ってしまった。  父は部屋の扉を素早く閉め、更に念入りにドアの鍵をかけた。  その瞬間、俺はベッドの上でどうしていいかわからずに、ただひたすら震えていた。  そんな俺に、父は再び深々頭を下げた。  「すまない、少し君と話がしたいんだ。・・もう気分はいいかい」  俺はゆっくり身体を起こしながら、小さく怯えた声で  「・・ハイ」  とだけ答えた。  ・・・それから父はベッドサイドに腰掛け、ぼそぼそと話し出した。  それは・・・・子供の俺には、どうにも耳を疑うような話だった。  「私の息子の春樹は、どうやら性別が変化したらしい。元々オメガの要素がある事は分かっていたんだが・・・。進学時の検査でアルファの判定が出ていたから、それを鵜呑みにしていた」  「じゃあ春樹さんは高校二年生だから、二年前まではアルファだったんですよね?」  「ああ」  俺の質問に父は頷いた。  しかし、その後の話が相当話しにくいのか・・・。  その後大きく数度深呼吸の様に息を吸っては吐いていた。  その行為を数度繰り返したのち、意を決したかのように、父が口を開くと・・・・。  「私の見解では・・春樹はどうやら君に出会った事でオメガに変質してしまった様だ。しかも君たちにとって、この出会いはただの出会いでは無かった様だ。・・・私もやはり、非科学的だと思うのだが・・・。そうでなければ説明が付かないんだ。長年医師として、人の身体とと向き合う事を生業としてきた人間として言わせてもらう。  ・・・・・君は恐らく、私の息子の春樹と「番う」運命の人間らしい」  そう真剣に、俺の目をじっと見つめながら告げられた。  しかし・・・そんな事を急に言われても。  「・・・・え?それは・・ど、どういう・・」  そんな物、弱冠小6の俺には到底理解出来はしない。  だが、父の話は遠慮なく続く。  「君と、春樹は巷でいう「運命の番」というやつらしい。だから、春樹は急に変質した後、フェロモンを垂れ流したままずっと”発情”している。・・抑制剤を打って尚、あの状態のままだ」  俺は、恐る恐る尋ねる。  「つまり・・・・俺が倒れたのも、春樹さんが具合を悪くしたのも全部「俺のせい」  ・・って事ですか」  父は頭に手をやり、軽く掻く動作をしつつ大きな溜息を一つ吐いた。  「君の所為ばかりとは言わないが・・・・大きく言えば、まあそういう事になる」  俺は絶句した。  ・・・なんて事だ。  確かに再婚について、巷ですらあまりいい話は聞かない。  まして父も母も互いに子連れでの再婚。  しかも父方は開業医、明らかにステータスは父方の方が上。  何だかんだでうまくいかなくても仕方ない。  それでも・・。  いくら何でも、今日は・・・最初の一日くらいはハッピーに進むものだと思っていたからだ。  それが、俺のせいですべてが台無しになってしまった。  それが例え俺の無自覚であったり、俺に100%非が無い様な事であったのだとしても。  (いくらなんでも、あんまりだ)  ・・気付いたら、俺は泣いていた。  ぼろぼろ涙を零し、わんわんと泣いた。  ・・子供みたいに。      「そんな事で泣けたあの時は、まだマシだったよな・・兄さん」  ふと過去の記憶の一片を思い出し、思わず小さく呟いた。  赤のGT-Rは、何時しか海沿いを颯爽と走り続けていた。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

37人が本棚に入れています
本棚に追加