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夏休みの最終下校時刻は十七時。文化祭委員や、部活終わりの生徒がぽつぽつと下校していく。空の赤さは濃さを増す。
「お待たせブンコ。待ったか?」
「いや全然、今来たとこ」
「おっ、なんか今のカップルの会話みたいじゃなかった?」
自転車のカギを外しながら笑う北条。
「……恋人、ね」
「ん? どうした?」
私は自転車を押しながら、北条に伝えた。
「なるほどな、まさかあの手紙は座間先生宛で、そんなことがあったなんてな。亡くなった好きだった人と隣同士の卒業写真を今でも持ってるなんて……なんていうか」
北条の言いたいことはわかる。
一人のことを長年思い続けることはとても難しい。だからあの先生の在り方は尊くて、けれどそれ故に哀れでもある。あの人は自分の恋心を十年前に置いてきたのかもしれない。
「そういえば、数字の羅列はどういう意味だったんだ?」
「今解き方教えたでしょ」
「いやだから、その数字がないからわからないって。ブンコ、手紙座間先生に返してきちゃったんだろ」
それもそうか。
「9, 12, 15, 22, 5, 25, 15, 21,20,15,15の十一個。これをアルファベット表から番号の文字を当てはめると、I, l, o, v, e, y, o, u, t, o, oになる。まあ要するにありがちな告白の文章だったんだよ、あの手紙は」
「ほーう。そんで、どうして相手がその相沢さん? だって分かったんだ? 写真で隣に写ってたってだけじゃなんか弱くないか」
「……先生の目が、向いてた」
「そっか、なるほどな」
I love you too「私もあなたを愛しています」か。好きだった人からの返事を、十年越しに受け取った先生が何を思うかなんてきっと、いくら手掛かりやヒントがあったって分からない。解らないし判らない方がいい。きっと悲しさもあるし、後悔だって出てくるだろう。ただ単に嬉しい、懐かしいだけで済むほど簡単な話ではない。
「先生はさ、嬉しかったと思うよ」
北条が私の考えを遮る。
「……え」
「本当にあの手紙を先生に届けて良かったのかって思ってるだろ」
「……なんで」
「分かるさ、お前は中学ん時からそういうとこあるからな」
彼は一瞬考えてから、笑った。
「よかったんだよ。確かにあの手紙がきっかけで色々思うこともあるかもしれない。先生の止まってた感情がまた動き出すかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それがいい方向に動くのか悪い方向に動くのかは分からない。それでもやっぱり嬉しいんだよ。簡単な話じゃないかもしれないけど、そんなに難しい話でもないと思うぜ、俺は」
北条はむかつくほど笑顔が似合う。
私は少しあっけにとられて、それからいつもの調子で返す。
「生意気、北条のくせに」
「え、ひどくね? 俺今結構いいこと言わなかった?」
私たちは笑いながら今日会った交差点で別れ、それぞれの家に帰る。
家に帰る。そう、ただそれだけの事なんだ。
先生が十年前に置いてきた感情は簡単には戻らないかもしれない。
私が今日したことは、別段特別なことではないのかもしれない。
ただ私は、十年前に先生が受け取るはずだった手紙を、十年越しで、あるべき場所に届けたに過ぎない。
十年越しで、家に帰したのだ。
私も、今日はもう家に帰ろう。寄り道せずに。
少し遠くで蝉の声が聞こえる。
まだまだ暑い日が続くけれど、その日の帰り道は少しだけ涼しい風が吹いていた。
止まっていた風が、吹き始めたように。
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