『腰抜け』17年目

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樽山は『TSUTOM』としてベースを担当している。化粧を落とせば草野球が好きそうな一般人と変わらない。 しかし彼はその素顔もメディアに公開されてしまっている。そうなる前に脱退できたという点だけは神楽坂に運が味方した。 樽山が顔を向けてくる。その顔は悲観的ではなかった。 「不安なのも分かるが、応援してやってもいいんじゃないか。」 「…駄目だ。どうしても『SHINGO』が美歌の夢を霞ませるんだ。俺の子じゃ無けりゃ…」 「その先を言うなよ。」 樽山の顔を見る。樽山は旧友の言葉をしっかりと聞いて考えてくれていた。 「美歌ちゃんは慎吾の子供だけど、それでどうこう言われて怯む子じゃないことは慎吾が一番知ってるだろ。」 「…そうだ。けど、俺はこの名前のせいで妻に苦労をかけてしまった。同じことを娘にも繰り返すのは嫌だ。」 「神楽坂慎吾は『クローズ』の『SHINGO』じゃない。今まで頑張ってきた、美歌ちゃんの『お父さん』だ。それを確認していたんだろ。」 樽山の言葉で気付いた。自分は誰の為に1000人もの人を探していたのか。 娘の為と言ってきた。妻の為とも思ってきた。いや、違う。本当は、『自分の為』だ。 自分が『神楽坂慎吾』と『SHINGO』を分断する為にやってきたことだ。 自分は一人じゃない。自分は神楽坂慎吾であり、『神楽坂美歌の父親』だ。 「…ありがとう。救われた気がした。」 「そりゃ良かった。けどどう頑張ったっていつかはバレる話だろ。先に伝えた方がいいと思うぜ。」 「…家に帰ったら、娘に電話してみるよ。」 青空を仰ぐ。晴天だ。溜め息が暗い空気をいつもより多めに吐かせてくれた気がした。 その時、声が聞こえた。 「え!?『TSUTOM』じゃね!?」 その声を聞いて直ぐに前を向く。公園に入ってきた大学生と思われる男女のカップルが指を指しながら近づいて来ていた。 「うっそ!『クローズ』の『TSUTOM』じゃん!マジヤバ!」 キャピキャピと騒がしく飛び跳ねている。樽山も笑顔で手を振った。だが、男の指が自分の方に向いてきた。 「え、じゃあもしかして…隣の人は『SHINGO』ですか!?」 心臓が多く血を流す。鼓動が外にまで漏れそうになる。額から汗が噴き出し、顔色も悪くなぁだろう。『997』と『998』は確かに自分を指して『SHINGO』と言った。 やはり、過去からは逃げられない。 「『SHINGO』?お前ら、眼科行ってこい。」 いつの間にか俯いていた顔を上げる。樽山は眉をしかめていた。 「『SHINGO』はもういない。彼は俺の友人だ。勝手に出て行った腰抜けと一緒にしちゃ、彼が可哀想だろうが。しっかり謝れ。」 「す、すいませんっした!」 「それよか、お前、まだ仕事あるんだろ。『996』にしっかり斜線引いとけよ。じゃあな。」 そう言って樽山に背中を押される。「ありがとう」の言葉も出てこなかった。俺は、逃げるように公園を出た。 トラックに乗り込み携帯電話を開く。メールが一件、樽山からもう連絡が来ていた。 『お前は腰抜けじゃない。美歌ちゃんの父親として、務めを果たせ。』 「ありがとう…!」 今度は言葉が出た。トラックの行き先は決まっている。『999』と『1000』の下に向かう。
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