冷たい牢獄

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冷たい牢獄

 都心に聳える、タワーマンションの最上階。壁一面を占める窓の外には街の灯りが燦めき、中でも朱く光る東京タワーが一際目立つ。多くの人が羨み、感嘆する夜景が、この部屋の価値を高めていることは、間違いなかった。  しかしこの部屋の住人である男は、夜景など物ともせず、シャツを一枚羽織っただけの姿で、窓に背を向けて足を広げ、寝室の大部分を占める大きめのベッドに腰掛けていた。ズボンも下着も着けていない足の間には、長い髪の全裸の女性が跪いている。女性は、男の物を口に含んで、舌と唇を駆使している。奉仕の最中であった。  薄暗い室内に、女性の荒い息づかいと、奉仕する水音が響く。 「うっ、出すぞ、全部飲めよ」  男の口から発せられた言葉には、情熱の片鱗も無ければ、愛情の欠片も無い。ただただ、冷徹な命令であった。  女性はその命令通り、口を窄めて零さないように注意すると、口腔内に吐き出された苦みを、一気に飲み込んだ。  ごくんと、女性が飲み干す様子を見た男は、満足げに口の端を上げる。 「よくやった、褒美をやろう」  言い終わるか終わらないかのうちに、男は女性の腕を掴むと、ベッドの上に引き上げる。そうして仰向けに寝かせた女性に、のし掛かった。  男の手が頬を撫で、男の舌が耳を舐める。  男の手が頬から首へ、首から鎖骨へと下りる。  鎖骨へと下りた手が、双丘を撫でる。じわじわと焦らすように、ゆっくり、弱く。頂きに触れるのを避けるように、男の手が動く。  男の舌が、耳の裏側から表へ、表から中へと執拗な愛撫を繰り返し、耳たぶを軽く甘噛みされる。 「あっ、」  思わず漏れた嬌声に、女性は慌てて両手で口を塞いだ。 「なんだ、もう感じたのか。歌澄」  男に耳元で名を呼ばれる。 「そ、それは社長が……」  思わず反論すると、男の手が双丘の頂を強く摘まむ。 「ん、何と言った。呼び方に気を付けろと言っているだろう」 「も、申し訳ありません。京也さん」  女性は慌てて、男の名を口にした。  男の名は、千川京也。  ここ数年で急成長したITベンチャー企業、株式会社ケルスの創業者であり、代表取締役社長である。ケルスは、革新的なアイデアとそれを形にする確かな技術力で、あっという間に世間の話題を浚った。  商品は、企業向けのシステムが中心だが、それを応用した個人向けのSNSやアプリ開発なども手掛けており、一般の知名度も高い。創業者であり、社長である千川にも、当然世間の目は集まり、整った容姿も相まって、その一挙手一投足が注目されている。  女性はその千川の秘書で、津崎歌澄という。  歌澄は、元々社長令嬢であったが、父親が不正の疑いで逮捕され、会社を追われた。その上、会社から多額の損害賠償を請求された。裁判で有罪が確定し、父親は服役中である。父の会社で事務を担当していた母と歌澄もまた、仕事を続けるわけにはいかず、職を失った。母も歌澄も、父の無実を信じてはいるが、動かぬ証拠の前には、無力であった。  新たな職を探して何社か試験を受けたが、身元調査で父のことが分かると、内定が取り消された。母は、遠く離れた故郷で清掃の仕事に就いたが、地方での給料など知れている。  歌澄は正社員を諦め、派遣で働き始めた。しかし、派遣先に父のことが知られ、二年目で契約を打ち切られた。次は一年と経たず切られ、三年続いた会社も、正社員登用時の身元調査で切られた。  そんな時に紹介されたのが、ケルスの営業事務であった。営業事務にしては時給が高く、かなり好条件な案件であった。ケルスの担当者には、父親のことを正直に話したが、問題にされなかった。その上、三ヶ月の試用期間が過ぎると、さらに給料の良い正社員への登用試験を勧められた。試験に合格し、晴れて正社員となった歌澄は、今まで通り営業事務の仕事に就くものと思っていたが、千川の独断で秘書に抜擢された。それまで千川に秘書は無く、創業仲間であり、千川の友人である副社長が秘書業務を兼任していたという。  基本給自体は、営業事務と変わらないが、大抵は定時で終わる営業事務と比べ、上司のスケジュールに合わせて勤務する秘書は、勤務時間が不規則で、早出や残業も多い。そのため、あらかじめ職務手当が加算されている上、休日に出勤した場合は、その分の手当も支給される。賠償金の支払いを課せられている歌澄には、有り難かった。  当初は、千川のスケジュール管理や会場やチケット、車の手配など、通常の秘書業務を滞りなくこなしていた。しかし、一ヶ月が過ぎ、新たな仕事に慣れて来た頃、密かに千川に呼び出されたのだ。 「歌澄、」  千川に名を呼ばれ、歌澄は心臓の鼓動が大きくなるのを感じた。仕事の時は、「津崎さん」と苗字にさん付けで呼ばれるから、名前を呼ばれたのも、呼び捨てにされたのも、初めてであった。耳目を集める、話題のイケメン社長に、歌澄は仄かな憧れを抱いていた。  元々名前は知っていたが、それだけではない。父のことを知りながら、自分を雇ってくれた上に、派遣社員から正社員に登用され、しかも秘書として抜擢してくれた相手なのだ。  その上、独身で整った容姿となれば、誰もが敬意と憧憬を抱かずにはいられないだろう。  だからこの時歌澄は、名前を呼び捨てにされ、ほんの少しだけ期待した。少なくとも、仕事の話ではなく、ごく個人的な、それも悪い話ではないだろうと。  しかし、次に千川から告げられた言葉に、歌澄は耳を疑った。 「愛人になれ。もちろん、関係は極秘だ。言っておくが、お前に拒否権は無い。嫌なら会社を辞めてもらう」  一方的に告げられた無茶な命令に、歌澄は思わず言い返した。 「辞めると言ったら」 「好きにすればいい。それで、賠償できるのならばな。愛人になるなら、手当をやる。賠償金も全額払ってやる」  千川の言葉は、自信に溢れている。歌澄が断るはずがないと、確信しているのだ。  事実、その言葉に、歌澄は心を決めた。  自分はともかく、母が慣れない清掃の仕事で、腰を痛めている。せめて一緒に暮らしていれば、家事の負担を減らせるが、離れていてはどうしようもない。  例え自分が千川に借金をしても、賠償金さえ払い終えれば、母を休ませることができる。賠償金さえ無ければ、今の給料から母が生活できるくらいの仕送りは可能なのだ。  歌澄には、初めから辞めるという選択肢など無いのだ。 「わかりました。ですが、一つだけお願いがあります。母には、婚約者だということにしてもらえませんか。余計な心配を掛けたくないのです」  賠償金の肩代わりなど、一介の社員のために社長がするはずがない。しかし、それが婚約者となれば、母も納得するだろう。  千川が、歌澄の目をしばらく見つめる。 「それを、お前の母親が他言しないなら、いいだろう」  その意図を理解したのだろう。ようやく口を開き、その願いを了承した。  母は元々、目立つことが苦手な人である。父の事件で少し注目が集まった時も、心労で倒れそうになった。千川が相手なら、正式に決まるまでは、誰にも何も言わないだろう。  そうしてその夜、歌澄は初めて千川に抱かれた。 「そうだ、もっと俺の名を呼べ」  千川の両手が、歌澄の双丘を撫でる。  ゆっくり、弱く、時に強く。  強く掴まれ、淫らに形を変える。  節くれ立った指の腹が、胸の頂に触れる。  そのまま頂を摘ままれ、押し潰される。 「ふぁぁ、あっ、き、きょ……きょうや、さんっ」  歌澄が嬌声と共に、千川の名を呼んだ。  千川の唇が、耳から首へ、首から鎖骨へと下りる。  強く吸われ、歌澄の白い肌に、いくつもの赤い痕が残る。 「綺麗な肌だ。印がよく見える」  満足そうな声と共に、千川の手が、赤い痕を撫でる。  千川はいつも、首や鎖骨を強く吸って痕を付けるため、歌澄は首元まで隠れる服を選んだり、スカーフを巻かなければいけない。 「京也さん……あまり痕は……」  付けないで欲しいと、歌澄は千川に懇願する。しかし、千川の答えは決まっていた。 「見られて困る男でもいるのか」 「そ、そうではありませんが……」 「ならば問題無い」  二人の関係を極秘にしろと言いながら、千川は歌澄に、自分の印をつける。それは首や鎖骨だけでなく、お腹や太腿、ふくらはぎなど、全身に及んだ。そのため歌澄は、いつも、露出の少ない服を着、色の濃いストッキングを履く。  千川の手が、歌澄の足の付け根を弄る。  右の太腿を撫で、左の太腿を撫で、往復を繰り返す。  千川の唇が、胸の頂を含み、舌で舐められる。  太腿を撫でる手が、次第に上へ上へと上がり、秘部に到達する。  頂に歯が添えられ、そのまま軽く甘噛みされる。  もう一方の胸を掴まれ、三度、頂を摘ままれる。  秘部に到達した手が、その内部へ進入する。  内部を弄られ、淫らな水音が響く。  溢れ出る愛液を芯芽に塗され、擦られる。  二つの胸の頂と芯芽に、同時に刺激を与えられ、歌澄は全身から官能が立ち上るのを感じた。 「きょ、きょう……や、さ……んっ、も、も……う……」  息も絶え絶えに、千川の名を呼ぶ。 「何と言うんだった、歌澄」  千川の手と唇が、ほんの一瞬、動きを止める。 「あっ、い……や……」 「嫌、じゃないだろう」  芯芽を、やや強く弾かれる。 「ふぁ、あ……い、い……く……い、きます、いっ……ちゃ……う……」 「そうだ、いけ。俺の手でいくんだ、歌澄」  連続して与えられる刺激に、歌澄は徐々に理性を手放す。 「あ、あ、ああっ……い、いくっ、い……くぅ……」  全身を快楽の絶頂が襲い、歌澄は我を忘れ、官能の波に身を任せた。  千川の手が、歌澄の髪を撫でる。 「俺が、憎いか」  低い声が、耳に響いた。 「そ、そんなことは……」  歌澄はそれを否定しようとして、言い淀む。先の無い関係に自分を引きずり込んだこの男が、憎くないと言えば嘘になる。  しかし千川は、約束通り賠償金を肩代わりし、説明のため、母には婚約者だと名乗ってくれた。母は仕事を辞め、養生しながら歌澄の仕送りで穏やかに生活し、父の帰りを待っている。だから歌澄は、千川には感謝もしている。 「憎ければ憎めばいい。俺を憎んで、恨めばいい」  なおも言い募る千川に、歌澄は本心を告げた。 「確かに、貴方が憎くて、恨んでいます。でも、同じくらい、いえそれ以上に、感謝しています」  その言葉に、千川は口の端を上げた。 「そうか、甘いな。では、もう一つだけ教えてやろう」  そう言って千川から告げられた次の言葉に、歌澄は、絶望の淵に追いやられた。 ――お前の父親を失脚させたのは、この俺だ。感謝など捨てろ。もっと俺を憎んで恨め。だが俺は、お前を手放しはしない。お前は、俺のものだ。
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