名前はいらない

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 もういいだろう。帰ってくれないか。面会時間はまだ残ってるって? ……俺と世間話をしたがるなんざ、よっぽど暇なのかい。いい、付き合ってやるよ。そうだなあ、とりわけネタになるようなエピソードはないが……それにしても、激しく降ってやがるな。何って、雨の音だよ。あんたにも聞こえるだろう?  雨といえば、ちょうど職を転々としていたころ、子どもを拾ったよ。歳は……十歳くらいだったんじゃないか。当時住んでいたアパートに帰ってきたら、ドアの前に蹲っていたんだ。全身びしょ濡れで、水溜まりをつくって、ぶるぶる震えて。でもその晩は無視を決め込んで部屋に入って鍵をかけた。……俺を薄情だと責めるかい。だが考えてもみろ。関わったら面倒なことになりそうと判断したとき、だれが好きこのんで首を突っ込もうとするだろうか。……しかし、翌朝になってもまだ部屋の前にいるものだから、弱ってね。警察を呼んだところで俺が疑われそうだし、その子は濡れた服のまま一晩明かしているし、結局中に入れてやったのさ。そのまま居着いちまったわけ。
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