名前はいらない

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 濡れた服を脱がせてみてびっくり、子どもは女の子だった。だぼだぼのパーカーとジーンズといういでたち、短くぼさぼさの髪、垢まみれの肌、見た目からはまったく女だとはわからなかった。風呂に入れて身綺麗にしてやると、ある程度は見られるようになって俺は達成感に浸ったね。……無粋な勘繰りをお楽しみのところ悪いが、俺とあの子のあいだには何もなかったよ。裸は何度も見たがガキに慾情するほど腐っちゃいないさ。まあ、不便もしたんで水商売の女の世話にはなったが。  あの子を部屋に入れて数日は、ほとんど会話がなかった。無口なガキかと思いきや、一時的に声が出なくなっていただけだと気づいたのは、ずいぶんと経ってあの子が口を利くようになってからだったよ。裸を見たと言ったが、あの子の身体には煙草を押しつけた火傷の跡がたくさんあった。俺はあの子の可哀想なところが気に入って、軟膏を買ってきて、毎日塗ってやった。それで懐かれたんだろう。声が回復して、あの子が俺をオジサンと呼ぶのもまた、俺の気に入った。あの子は俺のことを詮索しない。俺を名前で呼ばない。……それだけで、俺はあの子に優しくなれた。俺もあの子のことを「おい」とか「なあ」とか呼んで、それであの子も嬉しそうに寄ってくる。女物の服を買い与えようとすると、首を振って「今のままでいい」と俺のお下がりの男物を大事そうに抱きしめて。可愛くないわけがなかろう。仕事を(くび)になって、転居を余儀なくされても、あの子がいる限り俺は大丈夫だと思えた。どんなにボロい寝ぐらでも、帰れば人の気配がして、「おかえり」って言ってもらえることの幸せを、噛み締めたのはそれが初めてだったよ。
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