初めての遠出(了)

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 ひととおり互いの紹介が終わると、今度は商人親子一人一人に目隠しを付け、マシケが先導役となり、商人の男はソタニが、タケキヨという少年はウリュウが、ウメチヨという少年はスグリが、それぞれ手を引いて案内をすることになった。  ミズホの人間に洞窟のありかを知られるのを防ぐためだと、マシケからは説明されていたが、本音を言えば、スグリには、里の大人たちがなぜこんなにもミズホの人々に対して気を張るのかよくわからなかった。実際に彼らと接して、その思いはますます強まっていた。  しかしスグリがウメチヨという少年に目隠しをしたとき、その気持は一変した。ウメチヨという少年は、スグリの顔をじっと見つめた後、スグリにだけきこえる声で囁いた。 「あなただけ、ほかの二人とは違うんだね」  彼の父や兄と比べてやけに流暢な発音だった。この言葉に、スグリは内心ぎくりとした。マシケとウリュウ、そしてスグリは、みな、瞳の色は同じ榛色をしていた。  後はそれぞれに少しずつ違った顔だちをしていたけれど、スグリにだけは外の二人と決定的に違うところがひとつだけあった。  マシケとウリュウの髪は、湿った腐葉土のような色をした巻き毛だ。ほかの里の者のほとんどが、差こそあれど、いくらか茶色がかった巻き毛だった。  けれどスグリだけは、行水をした後の鴉の羽のような色をした、まっすぐな髪を持っていたのだ。  しかしたったそれだけのことで彼が、スグリだけ実の子ではないことを見破ったとは思えなかった。それに、もしかしたら、彼はもっと別のことについて言っているのかも知れなかった。  けれど、少なくともその一言はスグリにとってとても不愉快なものだった。  スグリは思わず、彼の言葉が聞こえなかったふりをした。自分の、自分でも受け容れがたい特徴が、生まれたときから慣れ親しんできた人々よりも、そのとき初めて相対した異郷の人々のそれに近かったことが、なおのことスグリをそんな気分にさせたのかも知れない。もっとも彼らの髪の色ですら、スグリの髪の色と比べればいくらか茶色がかって見えたけれど。  タケキヨという少年は始め、ウメチヨは自分がおぶって行く、とごねたが、すぐさま父親にたしなめられておさまった。  そうして、一行は南の見張り小屋を後にした。洞窟の入り口までやってきたところで、スグリはこっそり眼下の平野を振り返って眺めた。日の短い秋のことで、もう空はうっすらと蜜色に染まり始めていた。  この景色を、自分はこの先一生見ることはないのだろう。スグリはそんなことを考えて、ふいになんとも言いがたいもの寂しさをおぼえた。  これからそう遠くない先に、いく度かこの景色を目の当たりにすることも、そしていつか、生きながらに二度と星ノ森の土を踏めなくなるときが来ることも、このときのスグリに知るよしなどなかった。  洞窟の中に入ると、商人親子の眼隠しは解かれ、一行はひたすらに北の出口へと急いだ。北の出口に着くと、山の中腹にいた年番の男も一行に加わった。幼いウメチヨはソタニに背負われて湿地を越えた。  その間、ソタニの荷物は年番の相方と、ウリュウとスグリとで分担して運んだ。そうしてなんとか日暮れまでに、スグリたちは星ノ森の里へと帰り着くことができた。  里の入り口で里長一家が待ち構えていて、スグリたちは挨拶もそこそこに商人親子と引き離され、彼らは里長の家へと連れて行かれた。  別れ際、あのウメチヨという少年とまた目が合ったけれど、スグリは気付かなかったふりを押しとおした。それでもなんとなく気になってそちらへ目を向けると、少年はすでに兄に促されて、こちらに背を向け歩き始めたところだった。  その夜は、ここ数日の間でも、とりわけ夕食の席は騒がしいものとなった。  弟たちは、山を越えるまでに見聞きしたものをウリュウから聴きだしたがったし、ナナエもスグリをあれこれと質問攻めにした。カガリは興味のなさそうな素振りを通していたが、しばしば食事の手が止まっていたのを見ると、興味は少なからずあったのだろう。  しかしウリュウもスグリも、あらかじめマシケに口止めされていたため、ほとんど質問に答えることはできなかった。  黙々と食事を口に運びながら、スグリはその日一日のことを色々と思い返していた。見るもの聴くもの全てがもの珍しく、できることなら誰かに話してきかせたかった。けれど、ただもうくたくたになっていて、とにかく眠たくて仕方がなかった。  いったん家に帰った後、再び里長の家へと出掛けて行ったマシケが、やがて手土産とともに帰って来ると、その夜は家族一同、寝る前の内職も早々に切り上げ、囲炉裏の火を消して床に就いた。  けれどもいざ横になってみると目が冴えてしまい、なかなか寝付けなかった。喉の奥がはれっぽくて、頭がやたらとくらくらしているように感じられて、なんだか嫌な予感がした。  翌朝目が覚めてみると、スグリのその予感はみごとに当たっていたことがわかった。その日からスグリは熱を出し、数日の間寝込んでしまうことになったのだ。やっぱり、あのとき頭巾をとっておけばよかった、とスグリは悔やんだ。  この数日間に起こったことが、その後のスグリの運命を決めることになったのだった。
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