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ふと、頭に暖かいものを感じて顔を上げた。目の前で、那由多さんが細い眉を下げて微笑んでいる。今までに見たことのない、優しい笑顔だった。
「いなくなるなんて言ったら、お父さんに泣かれてしまうよ」
「那由多さんがいなくなっても泣くのよ」
「知ってるでしょ」と尋ねれば、「そうかぁ」と笑い混じりに返される。
「あいつに泣かれると弱いんだよ」
那由多さんが諦めたようにぼやいた時、のろのろとロータリーに入ってきたバスが、ぷしゅうと間抜けな音を立てて止まった。
一拍の後にバスの方へ踵を返す彼を引き留めるように名前を呼ぶと、「ちゃんと帰って来るよぉ」といつも通り優しい返事が帰って来た。
「絶対よ」
「わかってるって」
念を押す様に言葉を重ねると「意地悪言って悪かったよ」と那由多さんは早々に白旗を上げたので、私は満足げにその背を見送る。
近くにいた老婦人に「恋人さんかい?」と尋ねられた彼が、照れ臭そうに「娘です」と返すのが聞こえた。
身動ぎするようにのったりと動き出したバスの背を、私はいつまでもいつまでも見つめていた。
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