第四章(その五)キリーク

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第四章(その五)キリーク

「僕のところに連絡が来たと言うことは、すでに警察には届け出済みだろう。彼のことだ。つかまることはないと思うけど、場所はできるだけ把握しておきたい。ホテル組合には久常君電話して。」  蘭圭堂はスマホを片手に忙しく指示をだすと、とあるタクシー会社に電話を入れた。 『はい。カエル交通です。』 「お、その声はメアリだね。」  いつもの交換手の声が聞こえて安心する。  ベトナムから就労ビザで来ている女性だ。  訪日してわずか二年だが流ちょうな日本語を話す。  他に英語、スペイン語、中国語、いくつかの東南アジア言語を話せるので重用されている。  家がカトリック系なのかメアリというファーストネームだ。 『なんだ。蘭圭堂さんですか。タクシーですか?』    電話番号登録システムでカエル交通の配車室には私の番号が名前付きで表示されている。  エメラルドグリーンのボディが特徴のカエル交通。  と掛かっている。 「メアリ君。仕事中ごめんよ。タクシーじゃないんだ。警察からFAX届いていないかな?県立病院の患者の失踪の件で」 『少々お待ちいただけますか。』 わずかな保留音ですぐに返答がある。 『えーと。認知症の徘徊……これは違いますね。特殊詐欺の黒子……も違う。あったあった、男性患者を発見次第お知らせください。これですね?』 「それそれ。見つかったという続報はあるかな?」 『最初のFAXの履歴を見るとまだ届いて三十分です。続報は来てないですね。』 「ここからはお願いなんだけど、もし発見したら警察の前にこっちに流してくれないかな?」 『シュガーバー』 「え?」 『報酬はシュガーバーでお酒飲ませてください。』  市内にあるオーセンティックなバーの名前を出された。  彼女も無類のお酒好きであった。  よくよく私の周りには女性の酒豪が集まる。  いいだろう。 「君の好きな特級酒時代のジョニ黒をご馳走するよ。その代わりメアリネットワークも使ってくれよ」 『やったね。』  パチンと指が鳴る音と同時に電話は切れた。  メアリネットワークは一関市の外国籍労働者のネットワークの一つである。普通、中華街やリトル東京を例に出すまでもなく、同じ言語国籍ルーツ同士で集まるものだ。  そういった互助システムはどこの国の自治体でもあるが、メアリという言語能力の高いメンバーが加わったことで、多国籍間交流が盛んになるという相乗効果をもたらした。  十数年前、外国人労働者といえば工場などで集団で働くイメージがあったが、今は住民の日常生活に近い仕事をしているものも多く田舎といえど目新しくはない。  加えて大通りから裏道まで走り回るタクシーの監視網。  さすがにドライブレコーダーを見せてくれとはいえないけれど。 「久常君。そっちはどう?」  ちょうど通話を終えたようだったので声をかける。 「旅館協同組合経由で通達は来ているそうです。知り合いにも声をかけてあります。あとは夜の飲食店も。」  夜の街に浸透する久常ネットワークは半端ではない。  外から小学生の一団らしき嬌声が聞こえた。  ふと思い立つ。  念には念を入れよう。  駆け足で外に出るとビルの前で話し込んでいる児童たちに声をかけた。 「あ、タロットじじいだ」 「占いじじいだ」 「今日は何くれるの?」 「僕にも何か頼んでよ」  実は彼らはまったく知らない仲ではない。  よく報酬と引き換えに依頼をする立派なメンバーだ。  構成員が多すぎて把握できてはいないが。  しかし一斉にしゃべり出すからやかましいことこの上ない。 「じじいはやめろ。じじいは。」  本気で怒ってはいない。  彼らの両親が顧客になるかもしれないのだから。 「頼みがあるんだ」  今度はみんなでもじもじとして勢いがない。  むやみやたらに大人の甘言について行かない。  素晴らしい地域教育成果である。  リーダー格の少年が 「知らない人じゃないし、とりあえず聞いてみようぜ」  とみんなに声をかけるとわっと集まる。 「この人を見かけたら教えてほしいんだ。」  スマホの画面を見せる。 「だれだれ?」 「悪いことした人?」 「なんかこの人顔色悪いね。」 「死んだじいちゃんに似てる」 「みんなで共有するから送って」  と言われたのでアドレスやアカウントの必要が無い通信で送る。 「で? 何くれる?」  交渉は全てこの少年が進める。 「もちろん見つけてくれた人にはお礼はするよ。その人によってほしいものは違うだろうから、今は言わないでおく。でも高価なものはだめだぞ? 君らの両親が心配するから」  今度はひそひそと集まって相談している。 「ああ、言い忘れてた。見つけられない人にも協力してくれたお礼に、ここを通ったときに何かを奢るよ。」  それを聞くと一番年少であろう男の子と女の子が安心したような笑みを浮べた。 「おっさん。よくわかってるな。」  ませた口調のリーダー格に言われた。 「それじゃ。長話して通報されてもなんだから。君らもちゃんと寄り道しないで帰れよ。なんかあったらオジさんが第一容疑者だ」 誰ともなしにくすくすと笑い声が起きる。 「さようなら!」  全員大きな声で唱和された。 「はい。さようなら」  あいさつを返すと振り向きざま一斉に走り出す。  子供はだまされない。  嘘を吐かず、こちらの利益を提示しながらメリットを与え、やる気にさせるのは大変だ。  そして等価交換にはシビアだ。  ただ価値基準を読み間違うと痛い目をみる。  大人の道理とは違う基準で動くのだ。  かつてはみんなそうだったはずなのに、大人になると忘れてしまう。  何時の時代、どんな国、どんな地域でも子供はイレギュラーズだ。  頼んだよ。  一関の「錦町ストリートイレギュラーズ」の諸君。  高槻と桜庭一行は厳美町をひたすら西へ。  須川岳を目指している。 「こういう一面の田園風景というのはなかなか趣がありますね。いや地元にないわけではないのですが規模が違う」  両サイドに広がる。緑の稲穂を見つめている。 「まぁ。それしかありませんからね。ところで達谷窟(たっこくのいわや)はごらんになりましたか?」 「いえ。まだですが。」 「時間はまだあります。寄り道をしましょう」 道の駅に併設された一関博物館の前を右折し、平泉方面へ。  この道はよく友人の家に向かうため自転車でよく通った。  車では数分だが、あの頃は何時間単位だった。  利便性とノスタルジーは相性が悪い。  平泉厳美渓線。山を越えて、ぽっかり開けたあたりに大きな鳥居が見えてくる。  達谷西光寺というお寺の一部であるが、主従でいえば達谷窟毘沙門堂が主で、それに仕えるのが西光寺である。故にお寺の方の正式名称は「別當」達谷西光寺となる  神仏習合の時代から、廃仏毀釈のあおりをうけ、残ったのがこのわずかなエリアだけだ。  桜庭は境内よりも隣接する茅葺き屋根の立派な家に目を見張る。 「これは立派ですね。」  ここまで足を伸ばす観光客は意外と少ない。  バスはあるにはあるが時間を気にせず訪れるにはタクシーを使うしかない。  メインとなる中尊寺、毛越寺、義経堂などを周り時間があったらと後回しになりがちだ。  成立年代も異なるので国定史跡ではあるが世界遺産ではない。  しかし私が真っ先に勧めるのはこの場所だ。  ここで信仰されているのは毘沙門天。  征夷大将軍坂上田村麻呂公である。  鎌倉の命をうけ奥州征伐を行った源氏軍も帰路詣でたといわれる。  征服者を奉る。  東北の不思議な信仰がここにはある。  拝観料を払い中にはいる。  すぐに岸壁に立つお堂が目につく。  高槻は指をさす。 「あそこが岩面大仏と呼ばれるんですが。どうです? 見えますか?」  桜庭は目を細める 「大仏ですか? ああ、確かに目と鼻と口が見えますね」 「元々は全身があったのですが、風化に耐えかね首からしたは崩落しました。ですから今は岩面大仏です。」 「なるほど。」 「ここは毘沙門堂であるのですが、この大仏はキリークから阿弥陀如来と言われています。」  浄土の基盤はずっと昔からあったのだ。 「キリークとは?」 「梵字。サンスクリット語の記号ですね。一文字で様々な仏様を意味します。」  蝦蟆ヶ池辨天堂をみて再び車中の人に戻る。  深刻な顔で呼びかけられる。 「高槻さん。」 「はい?」 「この街は一筋縄ではいかないんですね。」  高槻はふと笑う。 「桜庭さん。それはどこの街だってそうです。有名な横浜にしても教科書に載っていることだけが全てではないでしょう? 長く住んでいる人にしか解らない歴史があるんです。必ず。」 高槻は気づいていた。 先ほどからメッセージアプリの着信が何回も鳴っているのを。 事態が動いている。 だからこそ、私は普段どおりに正しいステップで踊る。 (つづく)
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