第四章(その六)白活

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第四章(その六)白活

 昨日食べた小籠包も旨かったが、この月餅がまた素晴らしい。  隠し味はなんだろう。  控えめな甘さが台湾茶によく合う。  神原が厚木基地関係者の待ち合わせに指定されたのは、横浜中華街にある喫茶店だった。  茶の入れ方などわからないので店員にいれて貰ったがなるほど、これはクセになるかもしれない。  レジ横にある茶葉の値段が高い理由を理解する。  良い物には高い。そしてこれは味に対して高くない。  ガラス越しに色とりどりの看板や人通りを眺めていると、白髪の紳士が店に入ってきた。  きっちりネクタイを締めてスーツも良い物を着ている。  おおよそ医者という人種に縁はないが、こうで合ってほしいという姿を体現していた。  立ち上がると先に相手に会釈をされた。  緊張の瞬間である。 「Nice to meet you. Dr. Moore」  紳士は鷹揚に手をふり 「You too. Mr.Kanbara. 日本語で大丈夫です。私日系人です。ジョンと呼んでください。」  そして握手をした。  日本語しゃべれること黙ってやがったな蘭ちゃん。  神原は思わず満面の笑みを浮かべてしまった。 「助かりました。今はこんな便利なものもあるんですが、必要なくて助かります。」  小さな翻訳機を取り出して見せた。 「私の友人も持ってるね。でも1番手っ取り早いのは私を連れて行くこと。」  そう言ってムーア医師は笑う。 「イチノセキから来たのかい? 初めて日本に来たときだから、何十年前かなぁ。行ったことあるよ。」 「どうでしたか? お気に召しましたか?」 「イエス。フライング団子! 覚えているよ。シューー。」  器用に親指と小指を曲げて飛行機のカタチを作る。  ツアーコーディネーターは渋いチョイスをしたようだ。  厳美渓のかっこう団子だ。  川の対岸にある店からワイヤーを伝って籠に入った団子が届く。  名物の一つだ。 「ところでマスター桜庭の事を聞きたいのかい?」 「そうです。厚木基地にいたという話を聞いたものですから。なにかわかることがありましたら教えてください。」  ジョンは今運ばれたばかりのミルクティーに口をつける。 「実は直接の面識はないんだが、私の前任者がベトナム戦争からの帰還兵についてケアしていた。精神科医として。その時に桜庭が派遣されてきたことは記録に残っている。帰還兵については説明いらないだろ?」 「知っているようで知りません。多分今私が聞いてもわからんでしょう。」 「正直さはビトクだね。本国に返す前に一旦平和な場所に置いて様子をみるんだ。これは厚木だけじゃない。沖縄やグアムでも同時に行われていた。」  でもと思っていたことを口にする。 「いくら平和な日本とは言え、当時の日本で外出はままならないのでは?」  1960年代後半の日本だ。 「デモのことかい? 確かに不用意に米兵が歩く時代ではないね。でもそれは本国でも同じさ。むしろいくらかマシだったかもしれないよ。」 「なにか画期的な治療法でもみつかりましたか? もちろん答えられる範囲で。」 「あったら大々的に発表するさ。君らは同盟国だしね」  世の中そう簡単にはいかないということか。 「PTSDの症状について説明をしてもらえますか?」  持ってきたカバンから一冊のノートを取り出した。  背筋を正し、身構えてしまう。 「安心してくれ。機密でもなんでもない。これは僕の大学時代のノートだよ」  なんども捲っているのであろう。表紙は擦り切れ、ドッグイヤーがたくさんついている。 「まずは記憶のフラッシュバック。強烈な体験がフラッシュバックで何度も再生されるものだ。または体験自体は何でもないことで不意に呼び覚まされることで心拍や呼吸の乱れを生み、不快感を及ぼすとある。あとは倦怠感、疲労感、無力感。症状だけ挙げればうつ病や統合失調症と変わらない。が、この一番の問題はなんだかわかる?」 「問題ですか? それは……。ちょっと思いつきません。」  当然だろうという風にうなずきながらジョンは答える。 「PTSDはね。原因がはっきりしていることなんだ。カンバラはうつ病になった人間に原因をあげろと言われてすぐに出てくると思うかい?」 「あ……、確かに。」  弁に熱を帯びてくる。 「でも帰還兵は違う。理由は明白だ。戦争体験だ。つまりもう取り消せない事実であり妄想でも幻覚でもないんだ。実際に体験したことなんだ。これを取り除くことは果たして人類にできると思うかい? 幻覚妄想ならいい薬が今はたくさん出ている。でもここではそういうことじゃない。」 「ちょっとまってください……。肯定すれば……いや、それだと……。しかし否定も……。」 「自慢にはならないが帰還兵のPTSD問題についてUSAは先進国だよ。間違いない。日本側から提供してもらう必要はないんだ。そんな時だ、マスター桜庭が派遣されてきたのは。日本は面白いね。PsychologyはBAなんだろ?」 「サイコロジーが……? あ、そうですそうです。心理学部は文系学部の一つです。」 「彼の専門は実はFolkloreらしい。」 「ちょっと待ってください。フォークロアっと。民俗学者!」  さっきから手元で音声認識翻訳がフル活動だ。  ジョンはページの最後のほうへ捲り続ける。 「これは前任者が私のノートに直接書いたんだが、ちょうどいい。なんて読むんだろう? 教えてほしい。」  流ちょうに日本語を介していたそうだが、文字は独特の癖があって読みにくい。 『記憶 日本の呪い 利用』  確かにそう書いてある。  無理やり文にすれば……。 「記憶は日本の呪いを利用しろ……? かな?」  ますます混迷してしまった。 「Curse? 私はわからないがハイチの人形みたいなのかい?」 「ドクター。違います。日本では昔からコトダマという……。」  ん?なんだ?どこかで聞いた話だ……。  神原のシナプスがつながりだす。  ジョンはふんと鼻を鳴らす。 「まるでラフカディオ・ハーンの世界だ。『気のせい』ってことにしろと言っているのかな。」  バチっと何かがつながった。  最近、誰かがそんなことをつぶやいた。  神原は知らないふりをしながら話を切り上げた。  そのあと、世間話に興じる。 「ジョン。今日はどうもありがとうございました。」  ジョンのすまなそうな表情は日本人のDNAのなせる業だろうか。 「こちらこそ。ありがとう。ごめんなさい最後はなんか力がはいっちゃってねえ。」  と笑っている。  再会を誓い握手をする。 「もし君が探していることの顛末が終わったら教えてほしい。なかなか面白そうなことをしているようだ。」  近くにお気に入りの中華料理屋があるらしく、この後奥さんと合流するらしい。 「See you again doctor.」 「See you Sir.」  ウインクでおどけながらもきっちりとした敬礼を返してくる。  さすがは軍属である。  店を出るまで立って見送った。  一関での蘭圭堂と飲んだ夜。 「神原さん。あいつはね。呪いの本質を『気のせい』と表現したんですよ。面白いですよね。彼こそ、帰ってきた兵士。帰還兵ですよ。」  うわ……。蘭ちゃんどうしよう。変な感じに繋がっちゃったよ。ほんとに……。  (つづく)
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