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第五章(その三)瑠璃光浄土
久常亜加里、メアリの報告を待っているだけではない。
笹川は一つの仮説を元に、ある寺を訪れようとしていた。
笹川蘭圭は占い師でありながら『運命に身を任せる』という言葉が嫌いだった。動機は勤勉や努力でなくとも、嫉妬でも憎悪でも怠惰でもいい。なんらかの原動力なくして道は開けない。困難にあっても足掻くことこそ最上の道と考えている。
言うなれば彼のリーディングは「足掻き方」の指南だ。
『神なるものがいるならば、そいつを慌てさせてみろ』
それが信条である。
運命を変えてやるとは思わない。
慌てさせるぐらいでちょうど良い。
今から訪ねる場所はそう教えてはいないが。
一関市萩荘地区。
萩荘の後には「字~」と続くが広大な範囲の地区である。
国道四号線の付近から西へ20km以上。
当然一つの共同体でなく複数に分散して地図にない地名を持っている。
その一つが最奥地の達古袋地区である。
「達」の字は古くは「竜」の字を当てていたが変遷した。
高槻、桜庭一行が訪れた「達谷窟」に関係があるのだと思う。
この地区に大きな湖があり竜が住んでいた逸話が残されている。
もう一つの「龍」の字の成立は実は「竜」より新しい表記だ。
古く「竜」の字の最後のハネが長い尾を表すらしい。
公式に存在する「達古袋」の文字は小学校、中学校の閉校以降、保育園の名前にしか残っておらず行政区分にも登場しない。
人口に占める神社仏閣の割合が多く、不思議な土地柄である。
かつて友人が住んでいたのでよく知っている。
笹川が子供時分は祭りの日に境内で踊る神楽舞や鶏舞が盛んであったが継承者がおらず、今踊れる人は少数になったと聞く。
春の呪い事件の時に御札を探しに来たのが達古袋にある白鏡山清水寺である。隣には八幡神社があり住職は神主も兼務している。戦前から続くこの習わしを守っている。
ここの住職はいつも気難しい怒ったような顔をしているが、とても気さくで話好きだ。法事で遠方からくる方によく勘違いをされるといつもこぼしている。檀家さんには元ヤクザだと吹聴しているから自業自得でもある。
彼は今の場所に就いてから薬物依存専門の施設を開業している。
もしかしたら何らかの情報があるのではないか。そしてかつてタロットリーディングをした神主とは、実は芙月和尚その人である。
浅からぬ縁を感じていた。
田園の続く道路脇に生い茂る森。
左に細道を歩いて行くと八幡神社の境内に通じる鳥居がある。
くぐらず過ぎて奥に入っていくと清水寺の敷地になる。
敷地に入ると一瞬目が点になる。
巫女姿の女性が庭を掃いていた。
伝統を重んじる有名な古刹ではないから女人がどうとか言うつもりがないが、TPOというものはどこにいったものか……。しばし棒立ちしていたら巫女が気がつき、ゆったりと近づいてきた。
「あら蘭圭さん。お久しぶりです。」
ぺこりと頭を下げる。
「や、やぁ楼閣に巫女姿はびっくりするねぇ。一瞬隣と間違えたと思ったよ。」
巫女は住み込みの武田雪だった。以前に顔を合わせている。この人もその反応かと苦笑している。
「この時間に神社の境内を掃除するものですからついでにこちらも。」
効率的なのは素晴らしいが、坊主はどこに?
住職のお世話をしながら修行している若いお坊さんに取り次いでもらおうと思っていたが。
「いつも取り次いでくれる子坊主さんはどこにいったの?」
「英建さんですか? 先月の初めに実家の寺を継がなくてはならなくなったとかで九州に帰りました。今は居ないですよ。」
「じゃあ今は住職一人か……。大変だね。」
「身の回りのことは私がいますからいいですが、仏教のことはなんっにもわかりませんので。」
なんにもに強いアクセントをつける。
限界集落とまで言わないが田舎のさらに田舎の寺社である。
人の往来がないため世間話でも嬉しいようだった。
キュウちゃんの話題でひとしきり盛り上がった後、住職を呼びに行ってくれた。久常君はくしゃみをしているに違いない。
縁側の建付の悪い引き戸をガラガラと音を立てて怪僧がぬぼうと顔を出す。
「おおう。蘭圭さんおひさしぶり。入りねぇ入りねぇ。」
とおいでおいでをする。
一人暮らしのわりには作務衣は清潔でヒゲも綺麗に剃ってある。
さすがは住職である。
「芙月和尚。神に仕える巫女に掃除をさせるのはまずいのではないかい?」
笑いながら意地悪をしてみた。
「なに八幡宮は八幡大菩薩。立派な仏様である。なんの問題があろうか。」
さすがは法話で鍛えたこの人には敵わない。
「さぁさぁ。雪に茶の準備させておる。入って入って。」
「では遠慮無く。」
玄関は相変わらず壊れる寸前のようで、いつも縁側から出入りしている。それでも靴を脱ぎ綺麗にそろえる。静謐な空気は普段の行いまで変えさせる。
広間であぐらをかき、お互いに一口湯飲みをかたむけると住職が深々と頭を下げる。
「先日は魔境に落ちたところを救っていただきありがとう。ちゃんとしたお礼をしていなかった。感謝する。」
助手にも言ったのですがと前置きをし。
「自分を手術できる医者はおりません。それに医者の不養生があるように、坊主の迷いもまた珍しいことではないでしょう。」
うんうんと頷きながら芙月は答える。
「医師はそうであろうが、坊主はそのために禅を組み経をあげる。これは自分のメンテナンスでもあるのだ。私は……そう、奢っていたのだろう。」
宗教的見解に安易に返答できないので続きを促す。
「君が見せてくれた『女教皇』のカードをいつも思い出す。あれもまた菩薩であるなと。我が国に伝わったのが亜流であれど、なんとも慈悲深き仏の心。そこに至ると心の迷いも消え失せた。」
怪僧の目から涙がこぼれ落ちた。
思想は違えど彼もまた久常君と同じ系譜を継ぐ者か。
「和尚。私も同じであります。毎日タロットをめくり集中するのです。もちろんそのたびに絵柄は違います。ですが『結論』にいたるのはいつもあなたが仰ったことと『同じ』なのです。」
「では。その出会いを紡いだ仏様に感謝を。」
「私は名も無きジプシーに謝辞を。」
くっくっくっくっと二人で押し殺して笑った。
「しかして、かような話を来たのではあるまい。なにか拙僧にご用かな。」
ごほんと咳払いをして本題に入る。
「和尚の療養所はまだやっておりますか?」
薬物治療のことである。
「スタッフが足りないから何人も入れられないが、なんとかやっておる。今は六人入っておる。」
「六人も!?」
「笹川君。こと薬物に関してどんな田舎であれ四七都道府県、存在しない地域はないのだ。だからこそ法律が強化され、取り締まりも強くなる。入所者には元僧侶もおる。」
愕然として目を見開く。
「お坊さんが……。それはなぜ……。」
「簡単な話だ。長い修行をしている内に、まさに魔境におちたのだ。」
「その魔境とは。」
「禅を組んでいる時にふと感覚が鋭敏になることがある。どんな小さな音も聞き取れ、半眼から目に入るものが色鮮やかになる。その高ぶりを押さえ日常に戻ることが座禅なのであるが。それを強制的に発動させようとして薬物を使うのだな。」
「外道ですな」
「外道も外道。外法でもある。ところでそれで思い出したが、先日の御札の件。御札と一緒にある薬も流通していたのを知っていたかな。」
背筋走る衝撃。
これは魔境か。
それとも大悟か。
全てがつながっていた…………。
右手から得た霊力を左手で地面へ。
魔術師の心がざわめく。
(つづく)
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