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第五章(その四)山頂への道
西光寺から再び山を目指すにあたり補給することにした。
なにごとかといえば、ここから先コンビニエンスストアどころか個人商店もないのである。
よって厳美渓近くのコンビニエンスストアは繁盛している。
かく言う高槻も常連であった。
須川岳は右手であるが、再び逆方向にハンドルをきる。
「反対方向ではないですか?」
と聞かれたので即答する。
「山頂まではかなり距離があるので補給しましょう。途中にあったコンビニへ向かいます。」
「なるほど。」
昨今の登山ブーム、キャンプブームで土日は混み合っているが平日はそれほどでもない。駐車場にある郵便ポストの前のスペースにカローラを滑り込ませ二人でお店に入る。
お客様ですから、いやいやそういうわけには、という大人のやりとりを行った後、おのおの買い物籠を持つ。
コーヒー代だけ押し通して車に戻る。
「水分補給は大事ですが、随分買うんですね。今日は登山はありませんよ?」
桜庭が持ってきたミネラルウォーターの数にちょっと驚く。
「水分補給もですが、私は常備薬を飲まなくてはならないもので……」
語尾を少し濁す。
「なにか既往症でも? このままドライブを続けても大丈夫ですか?」
大げさなジェスチャーで慌てて必死に取り繕う。
「いえ、日常生活に支障はないのです。ただの漢方薬のようなものですから、お守りのようなものです。」
ちらりとバックから瓶を覗かせる。
私に医学的な知識はないが、それでもわかることはある。
「桜庭さんはキノコは食べますか?」
最近のサードコーヒーブームに感謝しながら一口飲んだ。
どこでも旨いコーヒーが飲めるのはありがたい。
桜庭は首をかしげる。質問の意味を図りかねているようだ。
「”しめじ”や”しいたけ”でしたら好きですが。」
「では山で自生しているキノコは?」
とんでもないと首を横にふる。
「食べたことはないです。そんな機会はありませんでした。」
神奈川は都会といえど当然県全域がコンクリートで覆われているわけでないから、山もあるだろうし野生のキノコもあるだろう。
「実は日本にあるキノコは全て把握されているわけではなくて、生息が判明しているのは実態の数%なんだそうです。その中でも可食可能なものはさらに数%です。ではどうやってその奇跡の可食キノコを探り当てたのだと思いますか?」
「昔からですから分析ってわけにもいけませんね。動物に食べさせてみるというのは? すこし残酷ですが。」
「今も医療用にはマウス実験があるようですが、マウスに効果があっても人間に効くとは限らない。答えは簡単です。食べてみれば良いんです。」
「でもそれだと……。」
「はい。致死性のものもありますから、普通に死にますね。」
「そんなあっさり……。」
「でもそうなんです。図鑑に書いてある効果は”全て誰かが口にして”初めてわかったことなんです。キノコの図鑑一つに一体どれだけの命が関わっているんでしょうね。」
そして。
「漢方もまた同じですよ。」
深刻な顔つきになった。
「はい。」
「不老長寿の薬として水銀が飲まれていたのはわずか数百年前です。」
「あのどういう意味でしょうか……。」
高槻はふと我に返る。
「あ……いえ……。そうですね。服用は気をつけてくださいということです。では出発しましょう。」
何かに突き動かされるようにしゃべっていたようだった。
前にもこういうことがあった。
会社に勤めていたときだ。
気づいたら上司から気味の悪い目で見られた。
ふらふらと席にもどり同僚に声をかけられた記憶が呼び起こされる。
「おい。さっきのどうやったんだ? 胸がすかっとしたからいいけどさ」
馬鹿にするような笑みではなかった。
仲間を思いやる笑顔だった。
「なに? 俺なにか変なこと言ったか?」
「とぼけんなよ。さっき佐々木が怒られてた発注ミス。立て板に水のごとく上司のミスだと看破したじゃないか。」
「あ、俺そんなこといったのか?」
「若いのにぼけてんじゃないよ。俺がなんかあったときもよろしくな。」
強く肩を叩かれた。
「かっとなったのは覚えてるんだが……。そうか俺はミスを指摘したのか……。」
周りに他の同僚も遠慮がちに近づいていた。
さっきまで烈火のごとく怒られていた佐々木という同僚が涙目で何度もこちらに会釈している。
なんとも記憶があいまいなのでサムアップしてごまかした。
私には私の知らない不可知領域があって……。
そこへ行って。
帰ってくる。
帰ってこられる。
車は廃校跡の公民館をすぎさらに進む。
渓流が近くになり、道も細くなる。
渓流の女王ヤマメの販売店の看板を過ぎるとダムが見えてくる。
ダムが貯える絵の具をぶちまけたような毒々しい深緑の水が実は苦手だ。ここから新しい道路がつづく旧道は大きな地震のたびに崩落を起こして通行止めになったものだ。なんども工事をしていたが、東北の震災を契機に迂回路が作られた。
「こちらは震災の影響はどうでしたか。」
昨日のことのようであり、もう何年も昔にも思える。
「こちらは内陸部ですから。建物がすこし倒壊した程度です。市としては死者はいなかったはずです。」
情報が全て遮断されたあの日。
沿岸部で起きている地獄のような光景は後になって知った。
文明の基礎がインフラで出来ていることを身をもって体験した。
おそらく岩手県いや東北太平洋側のだれよりもキー局のある東京都民または他の都道府県の方が情報をよく把握していたと思っている。
色々な国や地域が救援してくれたのだ。
だが私は目の前にいる救援物資を運ぶ人にしか感謝を伝えられなかった。そして本当に困難な目にあったのは沿岸部の被災者である。私はせいぜい電気がない風呂には入れない程度でなんのことはない。
それでも岩手出身というと同情の声をかけていただいた。
そんなとき死線をさまよった沿岸部の方への罪悪感でいっぱいになる。
もし私になんらかの、蘭圭堂がいうところの「帰ってこられる能力」なるものがあるというならば、それを遺憾なく発揮して郷里に尽くしたいとも思っている。
そんなことは誰にも話したことはない。
蘭圭堂なら鼻で笑うだろうか?
心の不可知領域から声が聞こえる。
「桜庭君。君も贖罪からここまできたんだろう?」
今はなんのことかはわからない。
でも確信に近づいてきているのがわかる。
以前久常さんに教えて貰った。
私のカードについての話。
「久常さん。僕にペンタクルのクイーンが出たとして何を意味するんですしょうか。」
「先生には聞かないの?」
「セカンドオピニオンですよ。久常さん。あなたの見解が聞きたい。」
そうねと言いながらカードをシャッフルしだす。
「その一枚でもって断言はできないけど。それは多分あなたの才能を意味すると思うの。」
「才能? そんなバカな……。」
嘆息した後
「私にはなにもないんですよ。」
とつぶやいた。
「ほら。やっぱり。」
くすっと久常さんは笑った。
「今のあなたは逆位置のペンタクルのクイーンよ。それゆえに自分自身を信じられなくなっている。認めることができない」
久常さんは書棚から一冊の本を取り出して読みあげた。
レイチェル・ボラックの「タロットの書」である。
『ペンタクルのクイーンは自然の中の魔術的力や自分の源である強さをはっきり認識しています。小アルカナの他のどのカードよりも、彼女は世界の愛とつながりを有しています。そして、自己を信頼することがしましばもっとも重要であると示していることもあります』
「ほらね? ちゃんとかいてある。今までのあなたはどうだった? 社会に背をむけていたのでしょう? ならもう決まっている。正しい位置に戻るの。そしてこの本にはこうも書いてある。『ペンタクルのクイーン』は『魔術師』と比較できますってね。
(つづく)
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