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第六章(その二)最終稿
亜加里達は駅西口でバスを降りると駅の裏手に回る。
東口改札口は新幹線用の出口で、ほぼドアツードアでかつてのNECの工場跡地と隣接している。東口一帯のほとんどを「三関」という地名が占める。住所としては「岩手県一関市三関字~」という風になる。
だが駅の隣接するわずか1アールほどの面積ごとに深町、反町、柳町、柄貝、鳴神、散田、二本木、宇南と三関という地名から独立した住所が連なっている。漢字の成り立ちまで遡れば実に面白い地名である。
まず深町、反町、”柳”町は遊郭につきものである。
そして遊郭と神事は切り離せない。
神事おいて雷を神の怒りと表すが”神が鳴る”鳴神となる。
その結果”散田”として土地を召し上げられた。
そこに”宇南”と大きなひさしがついた建物が建つ。
柄貝と二本木はともに二つの対のシンボル。
つまり門である。
まるで”被征服者の歴史”が刻印されているようだ。
市の歴史を紐解いたわけではないが、この地を治めた名のある家臣の領地なのだろうと思っている。
もちろん彼女たちは知るよしもなく、動物病院の隣のバーへたどり着いた。ウイスキーの語源はラテン語の命の水を表す「アクア・ヴィッテ」から始まる。それがゲール語に翻訳され「ウシュクベーハー」となる。
その後、いくつかの変遷を経てウイスキーに定着する。その変遷の過程が「ウスケボー」であり「ウイスカ」である。ゲール語が古アイルランドやスコットランドで使われていたためウイスキーの発祥とされる。
彼女たちが先ほど乾杯し飲んでいるのは、ラベルのないウイスキーである。古いシングルモルトだということだが、テイスティングで大体の蒸留所はわかっても年代までは判別できないらしい。
元々好事家のマスターの私物であるから、深く調べもしない。
マスターは「価値は自分が分かっていれば良い」と常々言っている。
値段はないにひとしく、存在を知っているのはごくわずか。
亜加里が何かを決意するときに飲む勝負酒である。
安くはない。
が、決して美味しくもない。
だからほんの一口分。
儀式としてのお酒である。
彼女が男性なら、飲み干した後グラスを床にたたきつけただろうか。
初めて口にするメアリは目を白黒させる。
「これは……。なんて……。芳醇な……。」
言葉が続かない。
「無理しなくていいのよ。」
亜加里は思わず微笑む。
メアリはバドワイザーで味覚をリフレッシュさせる。
「ん。ではこちらから情報を。県立病院から失踪した男性は意外にもバスターミナルで見たってさ。」
「いつごろかしら?」
亜加里はシャンパンを傾ける。
「昨日の夜かな。弁慶号に乗ったのを確認。多少変装はしてたけど写真を見せたら間違いないってさ。」
「弁慶号なら行き先は須川高原ね。」
「そう。温泉でゆっくりしてるのかもね。」
「それ以降はみてない?」
「もちろん。キオスクにいる仲間に見張ってるように頼んだから間違いないです。途中下車してインターチェンジで仙台行きも考えましたけど、その時間に高速バスを使ってもいない。」
完璧な仕事である。
「で、亜加里さんの方はなんですか?」
「これみて。」
スマホからサプリメントの画像を見せる。スペイン語のパッケージのボトルだ。亜加里は別ルートで件のものが睡眠導入剤として輸入されているサプリメントと突き止めていた。
ただの飲み仲間からの情報であるが……。
メアリは画像を凝視する。
「これみたことあるな。いつからだろう。数ヶ月前かな。もしかして輸入している人を探しているの?」
「ううん。メアリちゃんそうじゃないの。私はもうその人は誰かわかっている。だからこれから個人的にでも委託されても購入を辞めてほしいって伝えて。」
「亜加里さんが直接いえば……。」
という声を口に指を当てて遮った。
「あなたの声で全員に伝えてほしいの。説得力が違うでしょ? それはあなたにしかできない。そうよね?」
「情報がほしいわけじゃない?」
「そう。ほしいのはあなたの信頼よ。」
二人ともうるうるとした瞳でしばし見つめ合った。
メアリが目をそらす。
「ちぇっ。亜加里さんが男だったら惚れてたのに。」
「最高の褒め言葉をありがとう。メアリ。」
亜加里は最高の笑顔でそう答えた。
※※※※※※※※
厳美町の奥、本寺付近までやってきた。
生徒数の減少で廃校になった二つ目の小学校を過ぎて山頂へすすむ。
高槻と桜庭はすっかり打ち解けて話していた。
やはり年が近いというのは大きい要素だ。
どうしてもおたがい「さん」づけは止められなかったが。
「桜庭さんの専攻はなんでしたか?」
「私は経済学部です。しかし少し後悔しています。私には数学的な素養があまりないらしい。」
「それはわかります。数学はⅡBまでやりましたが、最後の方は魔道書にしか見えませんでした。」
「なんの高槻さん。大学に入ってから復習するものもいますから。なんとかなるものです。父を見習って文学部でも目指せばよかったかな。」
「そういえばお父さんは何をしてらっしゃるので?」
「父は高校の教師でして、その件で蘭圭堂さんにきた次第です。」
「そうでしたか。」
ポーカーフェイスが板についてきた。
「あの……。詳しくは聞かれないのですね。」
おずおずと言った様子で尋ねる。
「自分の手に余ることは聞かないようにしてますので。」
高槻は気づいていない。
このときすでに向こう側へ入っている。
桜庭は目をぱちくりさせている。
「私もそうありたいのですが、なかなかどうして。」
「私は蘭圭堂にくるお客さんの全てを知っているわけではないのです。彼とは最近知り合ったばかりですからね。まぁでもある種の傾向といったものはわかるようになってきましたよ。」
「ちなみにそれを伺ってもいいですか?」
傾向ですからねと前置きをして続ける。
「皆さんどうも前ばかり熱心に見ておられる。目の前に壁があると、それをどうしても越えなくてはならないと思っている。冷静に見れば迂回路があったり、扉があったり、また壁だと思ったら張りぼてだったり、いろいろですよ。私はトラブルの第三者になって初めてそれを人から教えて貰いましたよ。それでですね。山頂まであと1時間くらいなんですが、どうやら私はあなたにとって、その迂回路らしいのです。私の話を一つ聞いてみてはくれませんか?」
「あなたが全てを了解していると?」
「全てではないかも知れません。ですが、ある一つの可能性を私は示唆できます。それを聞いた上でどうするかは山頂で決めましょう。」
ハンドルは操作は精密に。
高槻は一つ深呼吸をして話し始めた。
(つづく)
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