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第六章(その三)ペンタクルのクイーン
「まずは蘭圭堂にいらした経緯と相談内容を教えてもらえますか? そして彼が何をあなたに言ったかも。」
桜庭は、父の失踪と教え子の自殺を追って仙台まできて、仙台のタロットリーダーから蘭圭堂を紹介してもらったことを順序立てて要領よく説明した。リーディングの内容は簡潔だったが、そちらはもう知っているから問題ない。
一度聞いてはいるものの肉声を通して得られる情報は以外のほか多い。
むしろそうした情報を肌で感じることで高槻は危機を乗り越えてきた。
「一つ確認させてください。あなたのお父さんは義父なのですね?」
「そうです。本当の父は幼少の頃亡くなりまして。」
「それです。」
間髪を容れず高槻は答える。
「え!?」
唐突な指摘に桜庭は動揺する暇も無かった。」
「それが物語の起点であり終点です。」
口をついて出る言葉に確信がこもる。
直に接してようやくわかった。
この青年の言葉に意図しない虚偽の言葉が含まれている。
それは呼吸のタイミングであったり。
ミラー越しに見える話すときのクセであったり。
視線の動き。
悪意がないのだ。
それ故に誰も気づかなかったのだろう。
蘭圭堂が義父に会わせるという直接的解決を避け、桜庭誠一郎という人間の周囲を探ろうとし、それに起因するトラブルと喝破できたのは常日頃から占うという善意の嘘を行使している人間だからだ。
私は蘭圭堂の側に居たから気づけた。
普通の人間が嘘を操ろうとすると必ず破綻するのだ。
ついていい嘘。
悪い嘘。
相手を思いやる嘘。
打ちのめす嘘。
それは定型化したものでなく、常に流動し続けるからだ。
つい一秒前まで有効だった嘘がまったく機能しなくなることもある。
言い換えるならば
「嘘=呪い」だ。
プラスに働けば祝い。
マイナスに働けば呪い。
善意の祝い。
悪い呪い。
思いやる祝い。
打ちのめす呪い。
そして虚言を朗じる者は常に警戒しなければならない。
嘘が跳ね返ってくることを。
「汝が怪物と対峙するときに自分自身が怪物とならぬよう気をつけなくてはならない。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのだ。」
その領域に立ち入るための手段としてタロットという叡智の結晶が必要なのだろう。
呪いを常時行使する蘭圭堂は確かに「魔術師」である。
そして私は比定しうるペンタクルのクイーンである。
私の紡ぐ物語。
私の導く結論。
会社に勤めていた頃の私は優秀だったわけではない。
だが複数の、それもかなりの要素を同時進行させることが出来る人間だったようだ。それに気づかされたのは入社して随分たったころだ。かといってこなせる仕事の量が他人より多いわけではないのでおとなしくしていた。いつしか私は使用していない思考ラインを通じて空想をするようになっていた。
逃避としての空想である。
私は深淵を覗いていた。
それが常態化していた。
そしてある日突然発狂する。
ダムが決壊するように、ほんの一滴の雨水がキャパシティを越えた途端、常識という壁が瓦解し、空想の世界であるはずの事象が逆流、現実を浸食し始めたのだ。
何が本当で。
何が嘘か。
何が現実で。
何が虚構か。
あの日以来、深淵から覗かれる恐怖に苛まれ、全てを投げ出した。
一線を越えたのだ。
寝ても覚めても迫り来る幻覚妄想に死をも覚悟した。
もう元には戻れない、そう思った。
しかし家で両親と接しているうちに私はこの世界に帰還していた。
不思議な感覚だった。
なぜ戻れたのか。
それは今はまだわからない。
オーケーボス。ようやくわかった。
私の役割が。
私の存在する意味が。
久恒さん。
どうやら私のタロットは正位置に戻れたようです。
蘭圭堂。
悔しいが私はあなたに感謝する。
恩返しではないけれど、責任をもって私はこの桜庭青年をこちらの世界に引き戻す。あの日病室で聞いたプロフェッサーの願いを叶える。
それが私がこの場所にいる意味だからだ。
高槻は再び、放心の体だった桜庭誠一郎に顛末を語り始めた。
(つづく)
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