序章その一

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序章その一

 寄生虫には寄生虫の本分というものが存在する。  例えそれがほとんど九割の恩恵をうけるものだとしても一割は返さなくてはならない。  すべてを委ねることにはならないのだ。  宿主を出来得る限り生存させる使命が常に存在するのだ。  したがって私がニートとして生きるために一番気をつけたのは私の代わりの収入源、両親の身体の健康とメンタルヘルスである。  己のメンタルはどうなのかと問われれば返す言葉もないが、九割依存している以上、私のことなど一割しか考慮する余地がないのは当然のことなのだ。  手伝いは積極的に行い、家事もする。 「おいそれはニートの本分を逸脱しているのではないのか」とおしかりを受けるかもしれないが、私はこれを曲げるつもりはない。 「家事は労働とみなされないのか!」という全国何万の専業、兼業主婦の方々の抗議もここは一つこらえて貰いたい。    私のここでいう労働とは直接サラリーが発生するものとみなして欲しい。全てはよりよいニート生活のため、労働の義務から開放されるにはそれなりの覚悟と努力を必要とするものなのだ。  有名な賭博師の言葉で「怠惰を求めて勤勉になる」という言葉があるが、まさに金言だ。大体、世間には覚悟のないニートが多すぎる。反抗的であるばかりか、製造物責任をあげつらい、あまつさえ宿主を殺すものさえいる。がん細胞以下の下等生物と言わざるを得ない。話がそれてしまったが私が細心の注意を払ってこの生活を送っていることが伝わって貰えれば幸いである。  しかしそうした不断の努力をもってしてもどうにもならない外的要因が発生する。それは両親が自立した大人であって日々社会とコミュニケーションを取っているからだ。仕事仲間、交友関係まではどうにもできない。  それはクソみたいな伝説的猛暑の年。その夏が始まる頃だった。  思えばあの一枚のカードのせいだったのだ。  私の運命、あえて運命という言葉を使うが、流転し大きく変わることとなったきっかけが起きたのだ。  私はニートのプロフェッショナルを気取っていたが、その本質にも気づいていた。  ニートは人生に対するルサンチマンなのであると。  いづれそこから旅立たねばならぬ時が必ずやってくるのだと。  そういう意味では感謝をしているのだが、その感謝は随分と後になって想起させたものである。  あの一枚のタロットカード。  その話を今しようと思う。    沖縄の人が冬にダウンジャケットを着るように、北海道の人が夏に半袖になるように、北東北の岩手でも四季は確実にある。鬱々とした梅雨、または農家にとっては歓迎すべき雨模様の7月上旬。昼食を片付けるためにキッチンで洗い物をしていた私は、母の大きなため息に敏感に反応した。居間のテーブルに座り込んでいたのは知っていたがてっきりテレビを見ているものだと勘違いしていたのだ。 「やっぱりペンタクルのクイーンなのね……」  そうつぶやくと目の前に並べたカードをまとめるとまたシャッフルしはじめた。  占いなど巷に反乱しすぎて一々見ることもなくなったが、タロットというのはいただけない。  何がどういただけないのか。  それはあまりにも度が過ぎているのではないかということだ。  動物占いや誕生月占いとは一線を画すだろう。  母にタロット趣味があるということはなかった。少なくともここ最近までは。  つまり誰かが勧めたということである。  実際にプロのタロットリーダーに見てもらった可能性もある。   そしてここが重要なのだが、易学や占星術と違って専門的なテクニックは特に必要ない。自分で簡単に実践できてしまうのだ。深いリーディングには膨大な経験と知識が必要とは知っているが、専門書を一冊買ってきておけば日常的なパターンは網羅できるだろう。  もう一つ、私が危惧しているのは、母がとても凝り性だということだ。資格に興味があったという理由だけで気象予報士の資格をわずか数ヶ月で一発合格したときには度肝を抜かれた。父が張り付いた笑顔で祝福していたのを覚えている。父は母の勤勉さには頭が上がらない。その一角を見せつけられたのだろう。そんな母が本気でタロットを学ぶのならかなりの線まで行くはずだ。  私は夏の入道雲のようにむくむくと湧き上がって来る不安感とともに尋ねずにはいられなかった。 「母上様、なにか心配事でしょうか?」 「なによ。その呼び方は」  冗談めかして聞いたつもりが声が上ずってしまった。 「この間ね、市内にある占い師をおしえてもらったのよ」  そら来た。 「私は特に占いには興味がなかったんだけど、お友達の付き添いでね。そしたら先生がとても面白い方でね。私もやってみたいというと、これをくれたのよ」  「興味がなかったのに」「お友達の付き添いで」あんたはパチンコにハマる主婦か! とツッコミを入れたくなったが、そこはプロフェッショナル、動揺を露ほどもみせない。どうせならカードゲームのデッキでも勧められれば良かったのに、というのは期待し過ぎか。  母が見せてくれたカードの箱には「魔術師」が描かれていた。スタンダードなライダースパックだ。どこにでも売っている普通のタロットで少し安心した。 「占いは占いたい対象がなければ成立しないものだよね? で、何を占っていたの?」 「特に今は心配事があるわけではないから、単に自分を占っていたのよ」 「でもため息が出てたけど」 「そうね。このペンタクルのクイーンが……あんたペンタクルはわかる? 」  大アルカナは漫画やゲームで大体は知ってはいたが小アルカナはうろ覚えだ。 「ソード、カップ、ワンド、ペンタクルで四元素でしょ? それくらいはわかるよ。でも各カードの意味まではわからないよ」 「あら、あんたも結構いけるのね」  なにがいけるのかわからないが。 「でも、そうね。何から説明すればいいのかしら……」  それっきり母は黙り込んでまたカードを並べ始めた。二枚のカードをクロスして並べ始めたのでオーソドックスなケルト十字かと思ったのだが、それ以降のカードを五枚づつ下に三層に並べた。これは見たことがない。  母は沈思黙考しピクリとも動かなくなった。  私は経験上、母がこのまましばらく思考の海にダイブしたまま帰ってこないことを知っていたので部屋に引き上げることにした。母はデータが揃わなければ……ともったいぶる名探偵の素養をも持つ人だったからだ。  先ほど覚えた不安感は今も大きくなり続けている。一度整理をせねば。何か致命的な出来事につながるような気がするのだ。もうキッチンの片付けは終わっている。あとは夕食まで部屋にいることにしよう。振り返ると母はまだタロットをじっと真剣な顔で見つめていた。  問題。私は何を恐れているのか?  私の偏見とも言うべきものだが、占うという行為は常に変革を求めるものということだ。今は時期が悪いから大人しくしているべし。という答えもいづれ来る変動に備えよというマイナス方向への変化であろう。    私はこの家をとても愛している。幸いなことに母も父も壮健で仕事も順調であるようだ。であるならば、この家で求められる変革は私自身ということであろう。私以外に変革が必要とされるものが想像できないのだ。  秩序が壊される。  私はタロット占いという事象に、その恐怖を瞬間的に察知したのである。  部屋に戻ると真っ先にしたのはインターネットで市内にあるタロットリーディングの店を検索することだった。 「おかしいな…… 」 検索して出て来るのは県庁所在地のタロットリーダーばかりで私が住んでいる市内はおろか近隣でもいない。どちらも盛岡市や宮城県仙台市のリーダーばかりだったのだ。    この時代にブログはおろかSNSの情報までヒットしないなんて。ということは口コミだろうか? だとすると専業の占い師ではないのかもしれない。夜の街には東南アジア系の占い師がいたという情報は以前コミュニティネットで確認していた。しかし母は夜の街には疎い。つまりは母の友人が媒介する交友ネットワーク上にいるわけだ。やっかいだ。中央、東南アジア系の飲食店を探す。英語だけでは心許ないので固有言語も翻訳しながら探して行くうちに一件の店が見つかった。タガログ語で 「Kapalaran」  正確に言えばそこで働くスタッフによく当たるという占いをするものがいることがわかった。  タロットなのかどうかはわからない。わずか数行の「この人すごい。よく当たる」という内容の翻訳したツイートを見つけただけ。ならばここからはフィールドワークだ。と言いたいところだが財布には千円札が一枚と小銭。これではどうしようもない。しかたない。支出は出来る限り避けたいところだが、ことは急を要する。母に無心して出かけることとしよう。  母はリビングでテレビを見ながらくつろいでいた。 「母さん。ちょっといいかな」 「どうしたの? 」 「急遽なんだけど、今日昔の部活仲間が集まって同窓会のようなものをひらくんだ。お金、融通してもらえる?」 「あなたに声がかかるなんて珍しいわね」  繰り返すがこれぐらいで動じていては生活できない。 「いいわ。気分転換に行ってらっしゃい」  人差し指と中指に挟んだ一万円札をひらひらさせながら母はそういった。  岩手県一関市。  中東北の交通の要所。人口約10万人。  名前の由来は平安時代の豪族の関所、奥州平泉の関所、この地に栄えた田村藩の関所とも伝えられているが、いづれも関所が由来である。市町村合併で肥大化したこの町は東西に百キロもある細長い形をしている。幼少の頃は、なるほど都が攻めてきたらここで食い止めるのだなと得心した記憶がある。  どこにでもある地方都市と同じで県内第二都市でありながら人口の流出が止まらない。市役所に表示された人口の推移表は毎月マイナスを示している。  町を活性化させようと奮闘する人たちがいる。市役所だけでなく民間のコンサルタントも含めた官民共同体だ。  イベントの企画立案、アンテナショップの併設、観光誘致など。いくつかのイベントは成功しているようだが、起爆剤という程ではないようだ。隣町には国宝第一号金色堂を擁する世界遺産平泉があるため観光資源には恵まれてはいるが、ことはそう簡単ではない。新幹線の発着が一関であっても観光客が一関市にお金を落とすとは限らないのである。世界遺産に頼らない観光誘致策。これが目下のところこの町の課題であろう。  それに観光だけに特化するわけにはいかない。定住者の問題だ。日本を代表する企業が世界的資本に飲み込まれ合理化を進めるいま、地方都市からの撤退を始めている。工場の縮小や移転。東アジアや東南アジアの資本の大移動が、今日本の内部でも起こっている。非労働を貫く私が憂いる云われはないが、両親が失業されては困る。他人事ではないのである。  半年ほど前だろうか。そんな町起こしに従事する女性にバーで出会ったことがある。キラキラした澄んだ目で「あなたにとってこの町はなんですか?」と問われたときだ。  その時の私は酔いもあったのか、ふざけることも忘れて真面目に答えてしまった。 「どこの田舎もそうだと思いますが、この町はゆるやかな死に向かっている。ただ生まれ育った町だからということでもないけれど、私にはその死に立ち会う権利があると思う。この町が死ぬというのなら、その死を見届けたい。答えになってなくて申し訳ないですが、それが私がここに住んでいる理由ですよ」  すこし困ったような顔をされてしまった。 「本当に死ぬと思いますか? 」 「わかりませんね。その時が来てほしいような来てほしくないような。ただ私は待つだけですから」 「自分には無理だなぁ。この仕事が終わったらもっといろんな場所に行ってみたい」 「あなたのほうが正解なんですきっと。でも私はここからでることはないでしょうね。それにここは一番関所。通過してしまったら忘れるほうがいいんですよ」  もう何杯目かわからなくなったジャックダニエルを一息にあおって、その日は帰った。  死。  緩慢な死。 (続く)
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