ともだち

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 たん、たんたん、たんたんたん、と音が聞こえた。  「なに?」  わたしは布団から身を起こした。  枕元に置いているスマートフォンを見遣ると、午前二時を少し過ぎている。  アパートは一方通行の道路に面している。わたしの部屋は一階の角にある。残業帰りにシャワーを浴びて。  ようやく、うとうと……と眠りに引き込まれたというのに。  耳障りで不規則なリズムの繰り返し。  たん、たんたん、たんたん。たんたんたん。  妙な感じだった。脳味噌の奥まで響いてくるような、こちらがなんらかのアクションを起こさない限り、絶対に止んでくれないような。  ――わたし、明日も朝が早いんだよ。寝かして欲しいよ。  たんたん、たんたんたん。  足踏みしているような音は、徐々に大きくなっていく。しかも、部屋の窓に近づいてくるみたいだ。  怖い、と思った。  たんたん、たんたんたん。  やがて、それは窓をピリピリと揺らしていることに気づく。  こうなったら、怖いとか言っていられない。ひとり暮らしだと、こういう時が心細い。  ゆっくりと窓に近づき、カーテンをそっと動かしてみた。垣根を越えたところに、小学校一、二年生くらいの女の子がふたりいる。  おかっぱ頭のてっぺん、お揃いの真っ赤なリボンをつけている。白いTシャツと七分丈のスパッツも揃いだった。  ふたりの女の子は踊りながら笑っている。  あの子たち、どこか見覚えがあるような、ないような。  どこかで逢っていたような気がするんだけど。どこで? いつ?  必死で記憶を手繰っていた最中。あっ、と声が出そうになる。  あれは。  ちいさい頃、ずっと一緒に遊んでいた近所の双子の姉妹だ。  ふたりとも、わたしと仲良くしてくれた。彼女たちはダンスを習っていた。ある土曜の日、ダンス教室に行く途中で双子の乗ったバスが横転したときに亡くなっていた。  なんで。  目を見開いたままのわたしに気がついたのか、彼女たちはダンスを止めた。そして同時に、わたしをじっと見据えてきた。  よっつの幼い瞳がキラキラと輝く。  ふたりは唇のかたちをつくる。  ――「逃げて」  どこに。  ――「いますぐ。その部屋から出なくちゃ、だめ」  なんで。  ――「わたしたちの、ともだちだから」  だめ、って。  ――「そうだよ。だめ」  なんだかよくわからないけど、とにかく「だめ」らしいことはわかった。恐怖よりも懐かしさと不思議さのほうが上だった。彼女たちに向かって、何度も何度もうなずいている。  そのとき。  ガスの強い臭いが鼻先をかすめた。あわててスマートフォンと財布を持ち、外に出ようと思った。  玄関を一歩、外に出たと同時。  頭上で爆発音がした。  わたしの上の部屋の窓から、大きな火柱が勢いよく吹き出している。  叫ぶ余裕もなく、道の向こう側へと転がっていた。  恐怖に身がすくむとは、こういうことかと思った。とにかく膝を起こせない。がくがくと震える肩に、双子たちがそっと手を置いてくる。 「もう大丈夫」 「大丈夫」  スマートフォンを取り出し、消防に電話したことまでは覚えている。  あとから聞いた話だが。  二階の部屋の住人が、ガス漏れに気づかずにいたこと、劣化した電気のブレーカーをそのまま放置していたこと……そこから火花が出ていたこと……が火事の原因らしかった。    今、彼女たちの墓参りに来ている。わたしは「ありがとう」と言って、頭を下げた。  ふんわりした風が、頬を撫でていく。  なつかしい匂いがした。
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