最悪の出会い

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最悪の出会い

雨のせいだろうか、今日の午後は客が比較的少なく、いつもより、店内に流れるジャズの音が際立っていた。 27歳の時にこの店を立ち上げ、今年で5年目に入る。 珈月(かつき)は中学生の頃、母親となんとなく入った喫茶店で初めてブラックの珈琲を飲み、香りの深さ、苦味、そして僅かな酸味のバランスの取れた味に感動し、嵌ってしまった。 それ以来、珈琲と名の着くものは片っ端から味見をし、飲むだけでは飽き足らず、珈琲に関する事をひたすら勉強した。  そして、最終的にバリスタとして、店を経営するまでに至った。 この店のこだわりは美味しい珈琲を味わってもらう為に、カップ、照明の明るさ、インテリア等全て計算し尽くされていて店の雰囲気を保っている。 客が一人も居ない時は、カップ磨きからインテリアのメンテナンス等をして、無駄な時間は一切なかった。 カップ磨きを終えた時、店の扉のカウベルが鳴り、ずぶ濡れになった一人の女性が入ってきた。 見た目は20代後半だろうか、品の有りそうな綺麗な顔立ちに、似合わない程酷く酔っていて足元がおぼつかない様子だ。 「いらっしゃいませ」 珈月は女性にお好きな席へどうぞと案内し、タオルを渡してあげた。 女性は珈月の声を聞き取る余裕がない様子で、ふらついた足で珈月の目の前のカウンターへと座り込み、据わった目で辺りを見回したあと、場違いな物を注文した。 「焼酎ロックで!」 酒の匂いが珈月の鼻をつんと着いたが表情を崩すことなく笑顔でお酒を取り扱ってない事を伝えた。 「お客様、申し訳ありません。ここは喫茶店でして、お酒はおいておりません」 女性は据わった目で珈月の目をじっと見つめまた焼酎を頼んだ。 とうやら珈月の言葉は伝わっておらず、居酒屋と思っているのかもしれない。 何を言っても無駄だと思った珈月はとりあえず水を女性の前に置いた。 すると、女性は一気に飲み干し、水のおかわりを求めてきたのでついでやった。 3杯くらい飲んで、そのままトイレへと入っていった。 30分位たったころ、流石に不安になってきた珈月は様子を見に行こうと思い、トイレへと向かった。 ノックをしようとしたとき、中から水を流す音がしたので無事だとわかった珈月はカウンターへと戻った。 珈月がカウンターに戻ると、女性もすぐに戻ってきた。 酔が少し収まったのかさっきより足元がしっかりとし、表情にも品が少し戻っていた。 席に着き、女性は自分の置かれている状況が掴めきれず辺りを見回していた。 珈月は女性に恥をかかせないために自然な流れで言った。 「よろしければご注文伺いますよ」 女性は自分がどこかの店に居るのだとわかるとメニューを見た。 しばらくして、おまかせブレンドを注文した。 おまかせブレンドとはこの店の看板メニューで珈月がその人を見て雰囲気にあった珈琲を提供するという変わったメニューだ。 「かしこまりました」 珈月は軽くお辞儀をした。 数種類の豆を選び、挽いていく。 店内に珈琲豆の香りが広がる。 珈月はこの香りが広がる瞬間がたまらなく好きだ。 女性の方をみると心なしか落ち着いた表情になっているような気がした。 珈月は女性の目の前にサイフォンと珈琲カップを置いた。 「こちらは目でもお楽しみ頂けますのでご覧ください」 フラスコの半分位まで水を入れ、火にかけていく。 沸騰するまで時間があるので、ロートにフィルターをセットし、挽いた豆を入れていく。 フラスコの水が湧いたら、フラスコの上からロートを差し込む。 するとフラスコのお湯がゆっくりとロートに吸い上げられ、フィルターの珈琲豆にたどり着く。 そしてそれをヘラで軽くかき混ぜていく。 そして、フラスコを冷ますとロートの珈琲は再びフラスコへと戻っていく。 後は、フラスコからカップへと珈琲を注いで完成だ。 カップからは湯気が立ち上り、挽いたときとはまた違った香りが漂っていた。 同じ豆なのに、挽いた時と入れたときで表情を変えるこれにも珈月は魅了されていた。 女性は出された珈琲カップを両手で包むように触れ、しばらく立ち上る湯気に何かを見、悲しげな表情になっていた。 そして、ゆっくりとカップを口に運び一口飲んだ。 しばらく香りを味わうように口の中に留め、飲み込んだ。 カップをソーサーに置き、女性は言った。 「苦い、けど優しい」 彼女の声は何故か震えていた、そして涙が珈琲へと落ちていった。
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