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十分間先輩
ワイシャツの袖をめくり腕時計を確認すると九時五十分で、会議室にはまだ俺と新入社員の女の子しかいなかった。
「あの、襟田先輩。私、会議中どうしていたらいいでしょうか……ちょっと不安で」
部署見学の期間とやらで最終的な配属先はまだ決まっていないらしい。
「あー……絵星さん、あと十分で会議が始まるけどなんとなく雰囲気だけ感じてくれれば大丈夫だよ」
「はあ……。……あの……それと」
「ん?」
「なんでもうすぐ会議の時間なのに襟田先輩しかいないんですか?」
もっともな質問である。
「えーと……。この部署だと開始時間に揃うのは奇跡。良くて五分、悪くて十五分遅れ。あ、決してやる気のない部署というわけじゃないよ」
たぶんだけど。
「じゃあなんで先輩だけ十分間も早く居るんですか?」
俺が十分前にいる理由?
「……深く考えたことなかったけど。なんだろうな、うーん……。強いて言えば焦るのが嫌いなんだよ。なんでも準備しなきゃダメなタイプでさ。だからいつも十分間だけ余裕を持って行動するんだ。小学生のとき先生に教わったみたいに」
「準備、ですか」
「そう。あ、それに」
絵星が首を傾げた。
「――十分間早く行動すると新しいことに気づける感じがするんだよなあ。なんか俯瞰で見られるような。暇なときに散歩とかするといつも咲いていたはずの花に改めて気が付くときとかあるでしょ? あんな感じ。……そもそも仕事ができるヤツはこんなゆっくり構えていないもんだけどね」
……ちょっとクサかっただろうか?
「なるほど……わかりました」
なにがわかったのだろう。
絵星はそう言って自分の手帳になにやらメモをした。この部署への自分なりの評価だろうか。
時間にルーズな部署は印象が良くないかもしれない。
結局会議は十五分遅れで始まった。
*
これが十年前の話。
そしていま。
ドアの開く音がして俺は振り返る。
「九時五十分。さすが先輩、早いですね」
「……お前もな」
十年前の絵星がなにをメモしていたかはわからない。しかし俺たちは十年前と変わらず十分前の会議室にいた。
「じゃあ先輩! 会議の前に状況の整理をしませんか?」
その溌剌とした笑顔に俺もつられて破顔する。
「……ああ、いいよ」
十年前の絵星に言ってやりたい。
少なくともお前の不安は杞憂だったようだぞ、と。
そしてきっと次の十年間も俺らはこうしているだろうと、社会人らしくなった後輩をみてそう思った。
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