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思ひ出、ひととせ【加筆版】
雁ヶ音マユミは、玉章使である。
大袈裟な名だが、要するに非合法の運び屋だ。逓信局では取り扱えないモノを、それが表沙汰になると困るような誰かに依頼されて運んでいる。
玉章というのは古代の言葉で手紙を表すものだが、運ぶものは手紙とは限らない。例えば、菓子折に偽装された延金や、分厚い写真の束、果ては先の大戦の不発弾まで、ありとあらゆるモノを運ぶのが彼の仕事であった。組織の全貌は彼にもわからない。依頼を持ってくる使者が毎回違う人間であるため、それなりに大きな組織であることは想像できる。しかしおそらくは存在するであろう他の運び屋のことは何も知らないし、使者からもそれとなく仕事のことは他言しないように釘を刺されていた。
その日、マユミは困り果てていた。やけに重たい葛籠を運んできたものの、宛先の住所は廃墟であった。そこまではいい。良くあることだ。受取人の捜索まで含めて玉章使の仕事ではあるのだが、いかんせん、あまりに情報がない。使者は住所を書いた紙切れを一枚渡しただけで、荷物の中身はもちろん、受取人の名前すらもマユミには知らせなかった。これはかなり異例のことだった。
「やってらんねえぜ、全く……」
マユミは悪態をつきながら煙草に火をつけた。
台車の上の葛籠は黒い漆で仕上げた上等な品だ。よほど大事なものなのだろう、特殊鍵の帯で厳重に封印が施されている。内部が補強されているのか、変形することこそなかったが、とにかく重い。
「死体でも入ってんじゃねえだろうな、これ」
玉章使の扱いになる時点で普通の品物ではないのは確かだが、さすがに殺人の片棒を直接担ぐのは寝覚めが悪い。当然、知らされていない中身の詮索は厳禁とされているのだが、そんなことを思わずにはいられなかった。
とりあえず、葛籠を車に戻して、近辺を調べて回ろう。そう考えて短くなった煙草を投げ捨てようとした時、どこからか微かな電子音が鳴った。
「ああ?」
マユミは台車の方を振り返り、凍りついた。葛籠の帯が、外れている。一体なぜ? あれは第三者が開けることは不可能な型のものだ。しかし、現に帯ははらりと解けていた。唖然とするマユミの指先から煙草がぽとりと落ちた。葛籠の蓋がゆっくりと持ち上がり、その蓋の向こうで、中から現れたものが大きく伸びをした。
「あら。起きるのが少し早過ぎたのかしら」
それは艶やかな着物に身を包んだ美しい姫君であった。姫君は二つ三つ瞬いて辺りを見回すと、口をぽかんと開けたままのマユミの姿を認め、ふわりと微笑んだ。
「初めまして、運び屋さん。わたくしのことは、ひととせ、とお呼びくださいな」
姫君は立ち上がってマユミの前まで歩み出ると、煙草を持っていた時のまま固まっていたその手を優しく取った。その手は無骨なマユミの手とは違って透き通るように白く、柔らかかった。もちろん、死体などではない。生き物を運んだことは何度かあったが、さすがに人は初めてだ。マユミは盛大に狼狽え、眉を寄せて握られた手と姫君の顔とを交互に見た。それが二往復した頃、姫君はおかしげに吹き出した。
「ひととせ、でございます」
姫君はもう一度繰り返した。そこでマユミは我に返った。
「あんたが、お届けの品ってことなのか?」
ひととせは頷いた。マユミの手を離し、品物を確認させるようにその場でくるりと回ってみせた。着物の袖が蝶の翅のようにひらめく。
「わたくしは十年前に失われた四季のひと廻り。元のわたくしにその記憶を届けねばなりません」
言い終えると同時に、ひととせの瞳に「憶」の字が浮かび上がり、淡い光を放つ。ははあ、と、マユミは思い当たった。これは自律型の記憶媒体だ。何らかの事情で保持していてはいけない記憶を人工神経回路に封じ込めておき、必要に応じて再移植する。自律型を用いる理由は偽装か危険回避か、あるいはその両方。いずれにせよ危ない代物だということだろう。
「宛処に尋ね当りません、だ。心当たりは?」
「いいえ。わたくしは、わたくしの本当の名前も存じ上げません。わたくしの胸の内にある記憶というのも、大切なものであるということ以外は、何も」
ひととせは悲しげに目を伏せた。その姿はとても人工物には見えなかった。帝都にあってもこれほどの体躯にはなかなかお目にかかれない。まず間違いなく最新型のその先を行くものだ。依頼人はそれほどのものを用意できる人物なのだろう。マユミは先行きに不安を感じた。自律型が用意されているということは、運び屋に万が一のことが起こると想定されている、と考えてまず間違いない。やたら高額な報酬はそういうことか。もう少し吹っかけてやればよかった。
何はともあれ、受取人を探さなくてはならない。小さく溜息をついた後、マユミはふと思い立って葛籠の中をあらためた。ひととせ自身が何も知らないのであれば、容器のほうに何か手がかりが仕込まれている可能性はある。
はたして思った通りであった。白詰草を模した緩衝材の下に、一通の茶封筒が差し込まれていた。封はされていない。マユミは鼻を鳴らした。慎重だか大胆だかわからないやつだ。つまりは開けてみろということなのだろう。遠慮なく開いてみる。中には一筆箋が一枚きり。取り出してみると、今では珍しくなった筆文字がしたためられていた。
『十年後の君へ。約束通り、預かっていた日々をお返しする。』
ふむ、と腕組みしてマユミはしばし考えた。ひととせにも見せてみたが、やはりきょとんとして首を傾げるばかりだ。一筆箋をしまって茶封筒を裏返すと、隅に薄く小さな字で英数字の列が記されていた。覚えのある雰囲気の配列。おそらくは、別の区画番号だ。
「なるほど、ここは初めからダミーか」
文字列を記憶して封筒を懐にしまい、辺りに注意を払う。まずは示された場所に向かってみるしかない。しかし、その前に。
マユミはひととせを担ぎ上げ、一目散に走り出した。一瞬ののち、銃声。煙が上がり、葛籠が弾け飛んだ。銃声は続く。間一髪で配送車にひととせを押し込んだ。どうにか、初っ端の「万が一」は回避できたようだ。
「まあまあ。物騒ですこと」
「シートベルトを締めてくれ。飛ばすぞ」
マユミは叫び、キーを回す。土埃をあげて、車は走り出した。
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