思ひ出、ひととせ

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思ひ出、ひととせ

 雁ヶ音(かりがね)マユミは、玉章使(ぎょくしょうし)である。  大袈裟な名だが、要するに非合法の運び屋だ。逓信局(ていしんきょく)では取り扱えないモノを主に扱っている。  玉章(ぎょくしょう)というのは古代の言葉で手紙を表すものだが、運ぶものは手紙とは限らない。例えば、菓子折に偽装された延金(のべがね)や、分厚い写真の束、果ては先の大戦の不発弾まで、ありとあらゆるモノを運ぶのが彼の仕事である。  さておき、マユミは困り果てていた。宛先の住所は廃墟であった。受取人の捜索まで含めて玉章使(ぎょくしょうし)の仕事ではあるのだが、あまりに情報がない。その上、つい先刻のこと、厳重に封印されていたはずのつづらが、ひとりでにぱかりと開いたのだ。(いぶか)しむマユミの前で、積荷が。 「あら。起きるのが早過ぎたかしら」  現れたのは美しい姫君であった。マユミは盛大に狼狽(うろた)えた。生き物を運んだことは何度かあったが、さすがに人は初めてだ。 「初めまして、運び屋さん。わたくしのことは、ひととせ、とお呼びくださいな」  姫君はマユミの手を取り、優しく微笑んだ。その手は無骨なマユミの手とは違って透き通るように白く、柔らかかった。 「わたくしは十年前に失われた四季のひと(めぐ)り。元のわたくしにその記憶(おもいで)を届けねばなりません」  姫君の瞳に「憶」の字が浮かび上がり、淡い光を放つ。ははあ、と、マユミは思い当たった。これは自律型の記憶媒体(フラッシュメモリ)だ。何らかの事情で保持していてはいけない記憶を人工神経回路(ニューロチップ)に封じ込め、必要に応じて再移植する。自律型を用いる理由は偽装か危険回避か、あるいはその両方。いずれにせよ危ない代物だということだろう。 「宛処に尋ね当りません(リターン・アンノウン)、だ。心当たりは?」 「いいえ。わたくしは、わたくしの本当の名前も存じ上げません」  マユミはつづらの中をあらためた。思った通り、緩衝材の下に茶封筒が忍ばされていた。中には一筆箋が一枚、今では珍しくなった筆文字(カリグラフィ)がしたためられている。 『十年後の君へ。約束通り、預かっていた日々をお返しする。』  ふむ、と腕組みしてマユミはしばし考えた。茶封筒を裏返すと、隅に小さく英数字の列が記されていた。 「なるほど、ここは初めからダミーか」  まずは謎解きだ。しかし、その前に。  マユミは姫君を担ぎ上げ、走り出した。一瞬ののち、銃声。つづらが弾け飛んだ。間一髪で配送車に姫君を押し込む。 「まあ。物騒ですこと」 「シートベルトを締めてくれ。飛ばすぞ」  マユミは叫び、キーを回す。土埃をあげて、車は走り出した。
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