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「来た……っ!」
物凄い勢いで釣り糸がリールから引き出される。
僕は慌てて竿を握りしめ、態勢を立て直した。
ギリリ……!
カーボンの穂先が鋭く絞られる。
リールを巻き取ろうにも、糸は出ていく一方だ。
……このズッシリとした手応え。もしかして《アイツ》か?
池の奥へ奥へと逃げる、独特の『引き込み』。
敵が疲れるまで、じっくりと待つ。寝ていた竿の根本がジワジワと起きてくる。
少しづつ少しづつ、リールのハンドルが回せるようになってくる。
やがて。
その薄茶色を輝かせた立派な魚体が水面に上がって来た。
……やはり、お前だったか。
そうだな。『ここ』はお前の決まった通り道なんだよ。10年に1度だけ僕だけが仕掛けを落とす、特別なポイント。
ついに魚がタモ網に収まる。
……立派な魚体。鱗の剥げ具合に、見覚えがある。
10年に1度だけ会いに来る、特別な相手。
お前に最初に出逢ったのは、僕が10歳の時だったっけ。オヤジに連れてきてもらって最初に釣った鯉。思わぬ大物に、大喜びしたっけ。
20歳の時たまたまここに来て、お前を釣り上げたんだ。すぐに分かったよ。それが『お前』だって。凄く奇妙で、変な縁を感じたよ。
30の時は、お前に結婚を報告したんだっけ。
40の時は、昇進と転勤を教えたよ。
50の時は、地元に戻ってきたのと、娘が結婚した寂しさをお前に愚痴ったよな。
60になって、家族以外に定年を伝えたのも、お前が一番だった。
……今年は。
すまんな、どうやら『次の10年後』はここに来れないかも知れない。何か割りと重い病気で、手術しないといけないんだってさ。
なぁ、鯉は100年生きるってか? 世界記録は200年を超えた例もあると聞いたよ。はは……とても敵わないな。
「……。」
区切りが着いた気分。
タモ網で口をパクパクしている鯉をじっと眺め、何も言わずに網を水中に沈める。
鯉は何事も無かったかのように、池の奥へと帰って行った。
僕は竿を畳み、釣座を片付けに掛かった。
すっ……と立ち上がり、空の青を反射した水面を見つめる。
と、その時。
バシャリ……!
池の中央で、1匹の大きな鯉が跳ねた。そう、今まで竿に掛かっていた『アイツ』だ。それはまるで『また会おう』と言っているかのようで……。
思わず、皺だらけになった目元から涙が溢れる。
「……ああ、そうだな。戻ってくるよ、必ず。だから、お前も元気にしてろよ。また会おう! 10年後だ!」
僕は軽く手を振って、池を後にした。
完
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