十年後に咲く菊花

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 訳が分からない。  生活費が底をついた。給料日までの六日間を、俺はカップ麺一個とマヨネーズで乗り切らねばならない。  はずれ馬券を弄んでいるうちに思い出した。十年前、母と大ゲンカして実家を出たときに、本当に行き詰ったら開けろと父がくれた封筒があったことを。  どうせ金だろう、これで食いつなげる。  そう思って開けた俺は、一万円とともに入っていた手紙に絶句した。  そんなわけで今、俺は花束を買いに来ている。 「菊、一万円分……」  年配の女性店員に、封筒の中身である金とメモ書きとを渡す。  店員はたいそう驚いた顔で「どうして」「一万も同じ花を」「それも菊を」「気は確かか」と繰り返した。  俺だって訊きたい。  気は確かか。  そもそも腹が減っているのだ。マヨネーズを直飲みしたところで六日も持たない。  なのになぜ菊なんか一万分も買わなければいけないんだ。  書いた本人さえ忘れていそうな、あんなメモ書き一枚に従って。 「はい、できました」  不愛想な店員が花束を差し出す。  ピンポン玉のような丸い花に、俺は思わず尋ねた。 「これが菊?」 「そ、ピンポンマム。メモにそう書いてあるでしょ」  ころんとした色とりどりのボールが敷き詰められているようだ。  年配の店員が、呆れたようにため息をつく。 「それ、お父さんのいつもの手なのよ。好きな花さえ渡しゃあ機嫌が直ると思ってんだから」  ちょっとアンタ、と店の奥にある居間に向かって声を上げる。 「お父さん! 正志(まさし)に変なこと教えたでしょう!」  十年ぶりに見る母は、なんだか少し嬉しそうだった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!