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捨てられる。
主人と出会ったとき僕は思った。口がきけず、身体が弱くて安かった僕は、好奇心旺盛な若い主人にちょうど良かったのだろう。
「ねえ、今日は一緒に寝よう」
主人は言った。オロオロしていると、主人のお母様が「いいんじゃない」と鼻で笑った。
「明日からよろしくね」
主人は僕を抱きしめにこっと笑った。すうすう眠る主人の腕の中で僕は、頬もおでこもなにもかもが熱い。こんなことは初めてだ。でもいつ飽きられるか分からないぞ、僕。うん、わかっている。
「今だけ、せめてこの温もりを覚えておこう」
出したことのない自分の声で、夢の中にそっと呟いた。
それから僕はほとんど毎日主人と行動を共にした。お母様は僕を好んでいなかったので、大事なパーティーなどはいつも留守番だった。代わりに近所に行くときはいつも一緒で、汚れても水を浴びることが許されない僕を、主人は一生懸命拭いてくれた。
あれから十年。僕は所々ほつれてきて、人で言えばおじいちゃんになった。底も擦れて、かかとももう潰れている。それでも、主人はまだ一緒に散歩してくれるのだ。
「まだまだ一緒だよ、ズック」
立派な名前もいただいた。僕はもう悔いは無い。みすぼらしい僕を、そばに置いてくれてありがとう。
「申し訳ありません、十年前の僕はまだ主人の愛情に気付くことができませんでした。どうしても伝えたいのに、声がでないのです。伝わるといいのですが。僕は主人を愛してます」
カーテンの隙間から朝日が覗く。
「ん、ず、っく?」
夢に引きずられながらもうっすらと目を開け、私はむくりと起き上がる。両手から昨日買ってもらった赤い靴がポロンと落ちた。
「そっか、ずっく、ズックって呼ぼう!」
靴を拾って「おかあさーん!」とパジャマのままで部屋を飛び出す。夢の中で聞いた、落ち着いた声が、私の胸の辺りをじんわりと温めていた。
完
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