君は今

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 君は今、私のことを救おうとしてくれている。血だらけの私のことを、懸命に。  今から十年前のことだ。君は、まだ十七歳だった。その日は、強い雨が降っていて、大荒れの天気だった。不意に、耳障りな急ブレーキ音と共に、歩道に飛び込んできた車が君を襲い、それを私が間一髪で救った。車はブロック塀に衝突して、ものすごい音を出し、辺りを騒然とさせた。  君は私の腕の中で、「ありがとう」と呟いた。掴まれた腕が震えているのが分かった。  怖かっただろう。決まっている。私だって、怖かった。でも、勝手に身体が動いていた。それは、正義感とかそういったものではなく、ただ無意識なものだった。自分の命の保証なんてない。でも、動いた。  破損した車を横目で見る。  その悲惨な光景を見た瞬間、自分がその時、人の命を救ったんだと思った。  それから、十年後の今まで、君とは連絡を取ることもなかった。こんな形で再会するとは思ってもいなかった。  君は医者になっていた。交通事故に遭い、救急車で運ばれてきた私は、全身が血だらけで、頭も強く打っていた。内臓もきっと、やばいことになっていると思う。ストレッチャーで運ばれながら、私は思った。あの時の君がいると。朦朧としていたが、ちゃんと君の顔を覚えていた。  あの時から運命の歯車が回り出していたのだろうか。私は思った。  君も私の顔を覚えていたのか、そんな風に呼びかけてくる声がする。徐々に、周囲の音が遠ざかり海の底から聞いているような感覚になっていく。目の前が真っ白に光って見えた。  私は目を瞑った。そして、「ありがとう」と心で呟いた。  君は今、私の命を救った。
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