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「もう、駄目だ・・・」
夫婦二人、常連客に支えられてなんとか続けてきたこのうどん屋も、長期の休業要請で借金が嵩むばかり。
娘の大学費用さえもう払えない。
亡き父から継いだ店の、薄ら黒い天井を仰ぎ漏れ出たのはそんな言葉だった。
久しぶりに出した暖簾を掴み下ろすと、まだ暖かく熱を持っている。
俺はその熱に堪らなくなり、湧き立つ物々を抑え込むよう暖簾棒を握り締めた。
「すみません。終わりですか?」
振り向くと高価なスーツを着こなした男性が立っている。
「いえ。どうぞ食べていってください」
店に入るなり男はテーブル席をずんずんと通り越して、カウンター席の真ん中に座ると、慣れたようにうどんを注文した。
こんなしがない小店に来るような人には見えない、なんて妻と話つつもうどんを拵えると、どうせもう客も来まい。そう言ってかき揚げを二つばかりのせて出した。
男はじっと眺めてから、手を合わせて食べ始める。
朝から仕込んだのだ、一人でも食べてくれて良かった。そう思い男を見ると、なんと目から大粒の涙を零しながら麺を啜っているではないか。
「お客さん、不味いですか!?」
だが男は首を振り、汁まで飲み干して手を合わせると、厚い封筒をカウンターに置いた。
「ご馳走様でした」
そう言って去ろうとするので、俺は慌てて男を引き止めた。
封筒が札で詰まっていたからである。
しかし男は頑なに『約束だから』と受け取らない。
仕方なく俺は彼にこう伝えた。
「また食べに来てください」
彼は嬉しそうに微笑んでいた。
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