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息を切らせて公爵邸前に到着する。巨大な公爵邸は蔓を象った洒落た鉄柵に囲まれていて、鉄柵際には木立が目隠しとして植えられてある。ぴたりと閉ざされた門の前には門衛が二人いて周囲に目を光らせていた。
ミーアは面接の気配がないか門の前を窺った。しかしほかの応募者の影はない。門衛が視線を向けてくるので思い切って彼らに尋ねた。
「あのっ。野菜の皮むきの仕事を募集してるって、掲示板で、見たんですけど……」
「裏口へ回ってください」
簡潔に告げられる。裏口はどこだろうと考えていると、門衛が言い足した。
「左手に進んで角を曲がってください」
「は、はい」
ミーアは指示のまま角を曲がった。鉄柵沿いの歩道をしばらく歩いていくと、やがて裏口らしき小扉が見えた。小扉の手前に長卓があり、男が三人いる。ミーアが近づいた時、一人が肩を落とし去っていった。
残りの二人は公爵家の使用人風情の老人と、その前に立つ応募者らしき男だ。男は長卓の前で果物包丁を持ち、熟れた林檎の皮を剥き始めた。一個丸ごと、途切れず皮を剥き切ろうとしているようだった。男が無事に切った後、老齢の使用人は出来栄えを冷静に見て判断を下した。
「皮が、少々厚いですね。あとは時間もかかり過ぎです。本日はお越しくださりありがとうございました。よろしければリンゴはお持ち帰りください」
門の内側にすら入れてもらえず帰されてしまうらしい。厳しい。ミーアは林檎を手に落ち込んで帰る男の背を同情して見た。
「あなたも応募者ですか?」
使用人に声をかけられた。ミーアは慌てて背筋を伸ばした。
「はい」
「ではこちらのリンゴの皮をむいていただけますか。これが一次試験となります。可能な限り速く、かつきれいにむいてください。皮を途切れさせないように気をつけながら」
ミーアは頷き、林檎と果物包丁を手に持った。
(わあ……、いい包丁だなぁ)
刃が重く、しっかりと研がれているため林檎の皮をするすると切ることができる。あっという間に剥き終わり、白黄色の中身と長く渦巻く真っ赤な皮を皿の上に置いた。陶器の白い皿だ。木皿ばかりのたんぽぽ亭では考えられない高値のもので、落としたらあっという間に割れるのだろうなとミーアは想像した。
判断が言い渡される前に、小扉の奥から別の使用人が現れた。ミーアと歳が変わらなそうな少女で、頬のそばかすが可愛らしい。
「ロッソさん。料理長が、お昼を済ませたらどうだって。あたし、交代します」
ロッソと呼ばれた使用人は、わずかに迷ったが少女に頷いた。
「では、しばらくの間お願いします。早めに戻ります」
ロッソはミーアを振り向いた。
「あなたはこちらへ。身分確認と二次試験を行います」
ミーアは心の内で拳を握った。どうやら一次試験を突破したらしい。
ミーアが公爵邸に入るのは、言うまでもなく初めてだった。目隠しの木立の内側は開けていて、噴水や石像、花壇などが左右対称に美しく配置された庭園があった。奥には背の高い薔薇の垣根道や、乳白色の四阿も見え、歩いているだけでも半日は時間を潰せそうだ。
裏口から邸宅へは背の低い緑の垣根が続いている。間を歩きながら、ミーアはいまさらになって自分の格好が気になった。周りのものが立派過ぎて、自分の存在が場違いな気がしてきた。
(もう少し、きれいな服で、来れば良かったよね)
だがミーアはいま着ているワンピースが一張羅だった。あと持っている衣服と言えば、小さくなった昔のワンピースと、着古した寝衣が二着といったところだ。せめて髪だけでも結い直しておけば良かったと後悔したが、もう遅い。前髪を意味もなく撫でつけながら、ミーアはロッソに続いて敷地内を進んだ。
案内されたのは、邸宅の裏方にある調理場の、さらに食材の出し入れをする扉の外だった。公爵家の邸宅に入れるのではと僅かに期待したが、やはり日雇い仕事の面接程度の人間は入れない。邸宅に入れる者は、使用人の基本が身に着き、紹介状も持参した上で採用された、後ろ盾がある者たちだ。
「こちらに氏名と住所をお願いします」
ロッソが木樽に置いてある羊皮紙を指し示す。羊皮紙にはほかの二次試験受験者と思しき名前が住所とひと組で箇条書きしてあった。ミーアは筆をとる手をためらった。
「文字は、書けますか?」
ロッソがすぐに尋ねた。都市部とは言え、市民で文字の読み書きができない者はそれなりにいる。
「はい、……一応」
幸い、ミーアは初等学校は出ており、簡単な文字の読み書きはできた。しかし卒業したのは四年前、十二歳の時だ。それ以来まともに文字を書いていない。
なるべく丁寧に、『ミーア』という名と、ノウェン市西区のたんぽぽ亭の番地を書いた。たんぽぽ亭の二階がミーアとミンロの自宅になっている。
ほかの箇条書きの字と比べお世辞にもうまいとは言えない出来栄えだ。だが恐らく間違えてはいないはずで、読めもするはずだ。ロッソも軽く確認して何も言わなかった。調理場から現れた恰幅のいい壮齢の男へ言う。
「料理長。あとはお願いします」
ロッソがいなくなった後、料理長と呼ばれた男がミーアの前に立った。白の仕事着に前掛け姿で、料理長らしく縦長帽子もかぶっている。
「この野菜と果物の皮を、むいてみてくれ」
料理長に籐のかごを渡された。中にはじゃが芋が二個と人参が二本、桃が一個と葡萄が一房入っている。どれも身が大きく新鮮だ。料理長は帽子を脱ぎ、ひと息つくように木箱の一つに座った。ミーアも空いた木箱の一つに座り、包丁を持ち手元に集中した。
緊張はしなかった。剥き終えたものはまた籐のかごに戻す。すべて剥き終えたところで観覧していた料理長が口を開いた。
「うん。ご苦労さん。採用の場合は三日ほどで書簡が届く。その野菜と果物は、土産に持ってってくれ」
「えっ? あ、ありがとうございます。……かごも、もらっていいんですか?」
「かごがなきゃ持ってくのが大変だろうが」
「あ……そう、ですよね」
さすが貴族、太っ腹だと思いながら、ミーアは立ち上がった。
何となく、採用はない気がした。失敗したわけではないが、やはり自分には似合わない仕事な気がした。公爵家の仕事なんてものは、きっと、有名な料理店で修業をしている料理見習いなどがするものだ。ミーアのような、街の何でもない食事処で働く者がするものではない。
「おい。誰か手が空いてるやつ、この子を裏口まで連れてってくれ」
料理長が調理場に声をかけると、すぐに一人の若い料理人が出てきた。歩き出そうとした時、調理場から少女の声が響いてきた。
「料理長」
邸内側の扉から、ドレス姿の少女が顔を出している。濃茶の頭の左右にお団子髪を結っている。調理場の空気が少女の登場で瞬時に引き締まった。料理長が慌てて帽子をかぶり直す。
「メリルお嬢さま。いかがなさいましたか?」
ミーアは目を丸くした。この愛らしい容貌の少女は、公爵家の令嬢だ。確か、そろそろ社交界入りする年齢だった気がする。
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