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赤城山の麓あたりだろうか、上越新幹線が通る音と重なって、雷鳴が響いている。
それとも妙義か、はたまた榛名か……方向音痴の私にはどうでもよかった。雨が降っていなければいい。雨が降れば最悪だ。何が最悪なのか、その定義は個々人次第とも思われるが、少なくとも私にとっては最悪に至極近くなる。
隣の猫が雨の日にだけ盛って、雄猫を襲いにいくからだ。その声と言ったらもう、普段餌だか仲間だかを求めて鳴くそれとは違い、生存本能だか何だかの遺伝子に組み込まれた、違う部分をプラスアルファに使って猛々しくつがいを求め、今日じゃなければ私は……と悲痛とエクスタシーを込めた声で鳴くから、雄猫は怖気づいて逃げ腰になっている。猫も逃げ腰になるのか、と感心したのを7年経った今でも覚えている。
向こう3軒の佐崎のおばさんが「いやあねえ、ほんと」と頬を赤らめて、いつも一緒にお喋りをする主婦のミチコさんに左手首で手団扇を1回振り下ろすと、「うちとは大違いだわっ」と眉を八の字に困らせている、その二つの顔をバスの窓越しから、見かける。
これを本気の言葉と受け取ってはいけない。佐崎のおばさんは猫が羨ましいに違いない。一方ミチコさんも猫を羨ましいと思いつつも、頬を赤らめる佐崎のおばさんをはしたないと上から目線で見ているのだ。自分を下に置いた言動でカモフラージュをするのだ。証拠は向かう足先と呼吸のリズム。少しだけお喋りの息遣いが早くなって、雨の日に身体な鉛のように重くなる私とはうってかわって彼女たちのリズムが少し高揚しているのが傘の動き具合でわかるからだった。
私はそれをバスの中から「また言ってるわあ」と心の内で呟き、蒸気で濡れていた窓ガラス一枚分、自分が座っているスペースの水気を全てふき取る。綺麗でないと落ち着かない。窓ガラス下のゴムの間には私が吹き上げた後に溜まった僅かな水が、信号停車のリズムに合わせて微かに揺れている。
膝の上にはある作家の短編集……第7刷の帯付き本。私はいつも流行本を第一刷時に買えない。どの本が良いか悪いか見抜けずに、6刷以降から……果てには18刷ほどになってから手を出す。18も出るころには何かが変わってしまうのだろう。まるで、皆に食べられたホールのショートケーキの最後の生地くずを「くそっ、もっと早くに食べたかったのに!」と思うような感じ。でもほとんどの人間が既に食べているから、次のホールケーキが出ることに瞬時に気がつくのは私に違いない、何故なら先に食べていった人間たちは違うパティシエのケーキに夢中だろうから。職人が作った aのケーキを皆が絶賛しているうちに、当の本人はbのスポンジを試行錯誤している段階が大半だ。
裏表紙の帯には、リディア・デイヴィスの『彼女の小説を読んでいると、自分がそれまで何をしていたかも、どこにいるかも、自分が誰かさえも忘れてしまう』のコメントが載せられている。
残念なことに、本の中身はわからない。これもひとえに私が……タイトルを理解し、目次を開き、第一章の1行目の句点まで読んだところで、私の記憶は消えてしまう。2行目を読むと1行目を忘れ、3行目を読むと1行目と2行目を忘れる。
この時の私は完全に表紙の絵と、後ろの「刷」の数字を気にして本を買い上げ、1年後に読むことを自分と約束していた。
市営バスを使って、今日もあの鍼灸……「しゃかじゃ」へ向かう。車の運転は禁止されていて、免許は学生証と一緒に母の通帳ケースの中にあるのだった。
毎日しっかり1錠飲んでいるフリをしている、眠くなる成分入りの薬がポーチの中でしゃかしゃかと音を立てている。鍼灸師の言いつけを守って、3ヶ月後には半分、6ヶ月後には全く飲んでいなかった薬を私は飲んだフリをして、体裁を作るために病院へ向かい、やられている医者と話をあわせるのだ。
老女医は頭を小刻みに左右上下に振るわせ、はりこの虎のように「いいですね、それはいいですね」とペンを用いドイツ語か何かでカルテにインクを滑らせるように記していく。話すことなんかない、という態度を示せば「会話不可」という烙印が捺されてしまうので、天気と気候の話から始めて、散歩で見かけた犬がタンポポの綿毛を食んでいたこと、芸人が新しいギャグ……逆立ちで都道府県を全て言い終えるまで頑張るも、いつも失敗してしまうというつまらないギャグをテレビでやっていたことなどを話す。
「いいですね、落ち着いて過ごせているようですね」「ちょっと調子が悪そうですね。薬を増やしておきましょう」とドイツ語でさらさらとペンを踊らせるのをしきりに見ながら「わかりました」と答える。毎度、この繰り返しをその都度、今までまるでなかったかのように繰り返していく。
老女医の後ろにある、真っ白なウォールブラインドが夏空を切り取って彼女の紫に染まったパーマヘアの彩度を上げる。彼女はきっと知らずに、児童向けの洋書で見たユニコーンのたてがみのような輝きを放っている。ブラインド横に置いた本棚には、エッグ型のチョコレートの中に入っている子供向けおもちゃが置かれていた。
薬が増えても減っても変わらない。私は鍼灸師の言いつけを守って薬の量を減らし続けているから、錠剤を積み上げて遊ぶために増えていくだけだ。……勿論そんなことはしない。思っただけだ。雨が降れば雌猫が盛り、主婦が囁き、私は雨が降ろうと降らずとも、毎週木曜日にバスに乗り「しゃかじゃ」へ向かう。老女医のカルテとおしゃべりに見せかけたパフォーマンスは完全なるオプションで、「治りました」という体裁を徐々に、徐々に構成していくためだけに存在していた。
「よお! 元気か?」
金髪を後ろになでつけて玉ねぎのようなポニーテールを揺らして、いつも勢いよくドアを開ける彼が、担当の鍼灸師である。夫婦で経営と施術を行う「しゃかじゃ」は、完全紹介制の鍼灸所で、私は毎週のように彼のところに通っていた。
このように通い出すのは小学校以来で、彼もいささか老けただろう、奥さんも少し目じりに皺のひとつでも、と思っていたが、全く変わっていなかった。魔女と魔男、といったところか。本当に変わっていなくて、時空がねじ曲がっているのかもしれないと馬鹿になったくらいである。
「なあ、牡丹は元気か」
「ですねえ。元気です」
「相変わらずか」「ええ、変わらずノンビリこいてます」
「しょうもねえなあ。何なんだ、あいつは。お前は全く似てないね」彼は母を名前で呼ぶ。
「お前は真似しちゃ駄目だよ。あれは駄目な大人の典型例だ。毎日ソファに座ってチェダーチーズを齧っているんだろ? 他に何してるんだ」
「え? 何も?」
この頃は祖父母共に健在で、母は私のからだを元通りにすると言ってパート先の「レストラン はく」を辞めて半年が経った頃だった。
母の肉体は完全に持て余され、ワイドショー視聴と、21にもなる娘を含めた家族の食事づくりのためだけにあった。
「まあ、そうだろうなあ……もう少し活動的なら男の一人でも出来るかもしれねえけどな」
苦笑する私に言葉を続ける。
「どうだ? いい男はできたか。俺が見ている他の患者も、結婚1年後にもう他の女見つけてるぞ」
脳天、頸椎、鎖骨、二の腕、手首、脇腹、太もも、すね、くるぶし。私はいつも次々と針を刺されていく。私が発狂しない閾値を知っているかのように、浅すぎず、深すぎずのところを狙う。
何も言わずに、ドアから出て、居なくなってしまう。
「ああ……」
うつ伏せで刺されて放置された私の部屋に、沢山の静寂が押し寄せる。「ねえ、みっこちゃん、どうしたの? 最近おかしいよ」「ミッコ、お前、そんな奴だったのか」「充希! あんたが死ぬって言うなら、お母さんも一緒に死ぬ!」「充希、俺がいるから大丈夫だよ。お前は必ず元に戻るよ。俺がついているんだ。信じてくれ」言葉たちが、私の身体に取り巻いて、やがて真偽不明と変わり果てる。
「私はもしかしたら、あの男に、身体をあげてしまったのでは? だから子宮あたりがぽこぽこっと音が鳴るんじゃないの?」だって、私には何もかも聞こえているんだもの。TVCMの間に打ち出された『明日午後9時』と私にだけ見えた集合を告げる文字、今期クールのテレビドラマたちのヒロインと登場人物に必ず登場する「ミツキ」、待っていますよという言葉。
全部が、私に関係するなんて。
「はい、じゃあお灸をしましょうね」
彼が居なくなり、針を抜くために妻が現れる。
こんなはずじゃなかったんだ。今頃、私は黄色の小さなワゴンを運転して学内の駐車場バーが壊れた瞬間を見遂げたかったし、学食のカルボナーラを野菜が足りないよね、っていちゃもんを付けたり、浮気相手の頬をつねって「目が、昔言いなりになりたかった女の子に似てて、いい」って近くの砂浜に無理やり連れて行ったり、「客員教授のくせに、何百も集まった学生たちの眼が怖いんだ」って、研究室棟裏の階段で泣きじゃくった、鼻筋がすっとした若い男に「わかるよ、でも意外とみんな気にしてないよ。あなたの首元のループタイが時代逆行してて、高校の頃に世話になった先生を思い出すよ」って励ます予定だったのに。
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