甘言

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甘言

 やあこんにちは、過去の僕。  今君の前には押しボタンが一つ、あるだろう。君はついさっきこのボタンについてこう聞いたね? 『思い浮かべた人間をいなかったことにできるボタン』と。  わかってるわかってる、だって僕は君だからね。君はおそらく今、押すことを躊躇っているんだろう。明確に、誰を消すかまでイメージできているにも関わらず。  君が消そうとしていたのはたった一度すれ違っただけの、あの背の高い男だろう。懸命な判断だと思うよ。  君が察しているように、僕のいる未来ではその男と君の意中の女の子は結婚までしている。確か二ヶ月前、第一子が無事誕生したらしい。おめでたい。僕と君以外の人間にとっては、そんな五文字がピッタリの幸せな家庭だ。  対して、僕の暮らしはどうなのか。嫌だなあ、わかってるくせに。今君が胸の中に抱え込んでいる劣等感をいつまでも足首にぶら下げたまま、君はどの人間よりも一歩遅れてしか歩くことができなくなった。足並みってのはね、一歩ズレると目立つんだよ。  まあ暗い話はさておき、今は建設的なお話をする時間だ。まどろっこしい話が嫌いな君、もとい僕のために結果から先に伝えておくけど、君はそのボタンを押すよ。これだけは間違いないんだ。あとは、そうだね。人間を一人消すことによって起きるリスクについて説明をしておかなきゃならない。  バタフライエフェクトって知ってるかい? タイムマシン研究とかじゃあ有名な通説なんだけど、遠く離れた蝶の羽ばたきが地球の裏側で砂嵐に化けるっていうあれさ。まあもっとも、君がそのリスクを知っているということも、僕は知っているんだけどね。  つまり、君がそのボタンを押すと、世界はガラリと変わる。人間一人が一生をかけて世界へ加えた力をリセットするのだから、なにかの差異で大震災の一つや二つが歴史の中に増えるかもしれない。  僕は君を責めたいんじゃない。肯定したいんだ。仮に君が押したボタンのせいで何人の人間が巻き添えを喰らおうとも、君は悪くない。君の前にそのボタンを置いたやつこそが、このバタフライエフェクトの犯人なんだから。だから君は罪の意識に呑まれなくてもいい。軽い気持ちで、つい目当ての停留所が見えた時のバスの押しボタンのように、必然的に押すんだよ。  だから大丈夫。君は必ずそのボタンを押すけれど、僕は悪くないんだから。  大丈夫だよ、大丈夫。  だから、押
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