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逃げて、今すぐそこから――。
夢の中で何度もループされる、10年前の夏祭りの日。私は15だった。
金魚すくい、綿飴、りんご飴、浴衣の袖が触れ合い、カランと響く下駄の音――。
「そろそろ、帰ろうか」
神社まで来て振り返ると、君は言った。
「もう少しだけ」
初恋だった。君の夢はピアニスト。その横に自信なさげに書いた「脚本家」という私の文字。放課後の教室で私たちはノートにお互いの夢を書きあった。
君はいつも落ち着いていて、一緒にいると私はまるで小さな子供みたいだ。
「まだ、帰りたくないの」
頭をぽんぽんとしてくれる君の手が好きだった。魔法みたいに美しい音を奏でる手。大きくて綺麗な長い指は見とれてしまうほど。
そのとき誰かが叫んだ。
一瞬のうち、私は君の右手から赤い血が滴るのを見た。
刃物を切りつけた男は警官2人に取り押さえられ連行されていく。
帰りたくないなんて言わずにあの場から離れていれば……。
泣きじゃくり何度も謝る私に君は「ケイナのせいじゃないよ」と言ってくれた。でもその後、なんとなく距離ができて私は避けるように違う高校を受験。怪我が原因で君がピアノを弾けなくなったと聞いたのは、卒業後のことだったんだ。
25になった私は事務の仕事をしながら、誰にも見られない脚本を書き続けている。今日は同級生の結婚式。君の姿があり10年ぶりの再会に心臓は弾けそうだ。
二次会へ移動する途中声をかけられる。
「久しぶり」
私たちは近くのベンチに腰掛けた。
「今、楽器メーカーで働いてるんだ」
君から音楽を奪ってしまった私は何も言うことができない。
「ごめんなさい。私があのとき帰りたくないなんて言わなかったら……あんなことに巻き込まれることも、宮田君がピアノを弾けなくなることもなかった……」
変わらぬ君の大きな手を見ていたら抑えきれず涙が溢れてくる。
「あれはケイナのせいじゃない。あのとき僕も帰りたくないって思ってた。それに今、実は作曲をしてる」
目を腫らした私は顔をあげる。
「ケイナは脚本、書いてるの?」
「うん。脚本家にはまだなれてないけど」
「じゃあ書き続けて。それで僕の作った曲を使ってドラマを作って」
君が優しく微笑むので、私も涙を拭き6月の空を見上げる。
10年後、脚本家になった私は君の隣にいますか――。君の音楽と一緒に素敵な作品を生み出していますか。きっと、きっとその夢を叶えていますように。
《了》
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