十年後の願い

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 大きな屋敷も、今では大半の部屋が閉ざされたままだ。  住んでいる人間は、(あるじ)である(まき)征一(せいいち)だけ。そう、人間と呼んでいいのは、八十をとうに超えた彼一人しかいない。 「征一様、荷物の支度は調いました」 「君と別れるのは寂しいな。本当にありがとう」 「いえ、これが仕事ですので」  執事服に身を包んだネルセンが、柔和な微笑みを征一へ向ける。  半人(デミ)と通称される彼らは造られた存在で、昔風に言えばアンドロイドに近い。  しかし先端技術に疎い征一にすると、人との違いを指摘し難いほどの精巧さだった。  ベッドに横たわったまま、征一は窓の向こうに咲く花へ目を遣る。 「妻が亡くなってからは、お前に頼りきりだった。息子たちの手を煩わせずに済んでよかったよ」 「病院へは入れませんので、お見舞いも出来ず申し訳ありません」 「治療用デミより、お前の方をよほど信用してるんだがなあ」  科学が発達しても、人の余命はさして延びなかった。  誠一も自宅療養を諦め、遂に入院を決意する。  これで執事の仕事は終わり、あとは家族と医療スタッフに任せるべき段階だろう。  半年経ち葉が色づく秋に、征一は逝く。ネルセンは既に別の家族と契約し、違う街で働いていた。  デミにも感情はある。それが人間と同様のものかは、随分と長い間議論され、未だ結論が出ていない。  頭に小さな火花(スバーク)が散ったよう、そう彼は感じた。  それは征一が世を去って十年目、継ぎ目のない白壁で覆われたデミ補修センターでのこと。  全体(ホール)メンテを受けに施設を訪れたネルセンへ、担当職員が手紙を渡す。  古式な紙の手紙など、相当に珍しい。 「書かれたのは十年前、差出人は巻征一、となってるね」 「征一様ですか」  内容はシンプルな依頼だった。  この時のホールメンテで、ネルセンが義体を交換すると征一は予想した。そろそろガタが来る頃だろうと。  交換して抜け殻となった体は、征一の墓の隣に埋めて欲しいと書かれていた。 「変わった依頼だけど、費用は支払われている。キミもそれで構わないね?」 「ええ……。いや、待ってください」  可能な限り補修を続け、ギリギリまで換体を待ってほしいとネルセンは願う。  愛着があるからと言う彼を、職員は不思議そうに見返した。 「へえ、デミがそんなことを言うなんてねえ。気に入ったのかい?」 「はい、とても」  ついさっきから、と付け加えたネルセンは、街路へ一瞬振り向く。  どこかで見た桜を背に、彼は笑顔で補修室へと歩いていった。
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