十年前のキミへ

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 黄土色で、楕円形で、異臭を放つ何かが、部屋の隅から話しかけてきた。  なにこれ。気持ち悪い。なにより、こんなものが見えるなんて、俺の頭は大丈夫か。 「聞いてますかい、兄貴」 「聞きたくない。兄貴じゃない」  確かな異臭が、幻覚などではないと訴えかけてくる。会話が成り立つ事実が辛い。  存在している何かなら、排除しなくては。雑誌を丸め、腰を落としてにじりよる。  叩いて潰れてくれるならよし。駄目でも、どうにかして自力で追い出さなくては。  黄土色の物体が話しかけてくるんです。臭いんです。  こんなことを大家だの管理会社だのに相談しようものなら、追い出されるのは俺の方だ。 「ずいぶん探したってのに、忘れちまったんですかい」 「初対面だ」 「時の流れは無情で非情。世知辛い世の中ですねえ」  振り下ろせば届く距離まできた。  さすがにやつも、こちらの意図を感じ取っているだろうか。 「本当に忘れちまったんですかい? 十年前に、きっと迎えにくると言っていただいた、たまごぼっ」  言い終わるのを待たずに、雑誌を勢いよく振り下ろした。  ぐにゃりとした感触が、確かな手ごたえを伝えてくる。  人語を解するキミの悪いキミと、約束を交わした覚えはない。  問答無用。情けも無用。  本人……いいや、本卵が言っていたではないか。  時の流れに限らず、世は無情で非情で世知辛いのだ。 「どうにかして、無事に食べていただきたかったんですがね」  ばらばらに飛び散ったキミ片が、ユニゾンで喋る。  怖い。臭い。色々な意味で香ばしい。 「若気の至りだったかもしれませんがね。おかわりしといて、食べきれないから流しちまうなんてのは、兄貴、いくらなんでもですぜ」  キミ片と化したキミが、なおも喋る。  どうしたらこれを処分できるのだ。 「どうか、これで最後にしてくだせえ」 「食べ物を……粗末にしちゃ……駄目……です……ぜ」  それきりキミは動かなくなった。  なんとも言えない、後味の悪い気持ちだ。  十年かけて食べてもらいにくるなんて。  子供の頃ほど、好き嫌いはしなくなった。  それでも、何も考えずに残してしまうことはある。これからは少しだけ気を付けよう。  翌日、灰色がかったどろどろが部屋の隅にうずくまり、兄貴と呼びかけてきたのは言うまでもない。  呼んだかい、とってもシロミな弟よ。  第二ラウンドのゴングが頭の中で異臭とともに鳴り響き、俺はゆっくりと立ち上がった。
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