合わせ鏡シンドローム

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「ははあ、こりゃ合わせ鏡シンドロームですね」  医者は聴診器を耳から外してそう言った。私は「そんな……!」と叫び、息子を見やる。でも彼はぼーっとしたまま、どこかここではない場所を見つめている。  ここA国では、ある奇妙な病が流行っていた。 「ま、最近多いですからねえ。合わせ鏡シンドロームは。このユウヤくんのような、影響を受けやすい若年層には特に多いんですよ」 「先生、息子は……助かるんですか?」 「もう知っているかもしれませんが、すぐ死ぬってことはないんですよ、お母さん。ただ厄介なのは、この病気を拗らせると、最終的には何にも食べず何にも飲まずになって、餓死しちゃうことなんですねえ」 「な、なんてこと! しっかりして、ユウヤ、ユウヤ!」  肩を強く揺さぶっても、ユウヤは虚空を見つめたままだ。揺さぶった拍子に、ポケットからひらりと何かが落ちる。医者はそれを拾い、ああ、と合点がいった声を上げる。 「『10年後の君へ』か……こりゃ、自分への手紙ですな。典型的な症状の1つ。未来や過去の自分と、文通をし始めるわけです。そういった空想に没頭しすぎて、今を生きることを忘れてしまう。そういう病気なわけです、ハイ」 「昔から想像力の豊かな子でしたけれど、そこまでのめり込んだことなんて……」 「最近の子は、とかく、先の見えない時代を生きていますからな。一寸先は闇の世界で、未来を少しでも垣間見たい、あるいは、自分の成長を実感して安心を得たい。そんな気持ちの現れなんですよ。でもそれは永久機関のようなものだ。妄想だけでは、結局何も生み出せませんからな」  医者は手紙をくしゃくしゃに丸め、くずかごにポイと捨てる。 「さて。では荒療治といきましょう」  医者が指をパチンと鳴らすと、息子の姿は消えていた。私は一瞬あっけにとられたが、事の重大さに気づき、叫び声をあげた。 「あ、あなた、息子をどこにやったんですか!」 「どこにも何も、あなたには息子さんなんていないんですよ、ハルミさん」 「な、何を言ってるの? 私には、確かに息子がいます」 「いいえ。すべて、あなたの妄想に過ぎないんです。この世界も、私の存在すらも」  医者はカルテを見せた。私の筆跡の、自分宛の手紙。  10年後の私へ。  私はいますぐ、10年後に行きたい。 「ハハ、ハ」  私は虚ろに笑い、もう何通目かもわからない手紙を書き出した。  10年前の私へ。  私はいますぐ、10年前に戻りたい。      
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