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言の葉、18歳
家を出て2ヶ月。
父の日だからと母親にせがまれ久しぶりに帰ってきた自分の部屋は、たった2ヶ月しかたっていないのにもう知らない部屋だった。
荷物はなし。ベッドも空。あるのはまっすぐ白い1本傷が入ったピアノだけ。
そっと傷に触れると、10年前の記憶が指先を通して流れてきた。
あの時の僕は、大人になったらもうこんな悔しい思いをせずに済むのにと思っていた。
そう、僕は大きくなってたくさんの言葉を覚えた。けれど僕はその言葉を使って、一体どれほどの気持ちを言葉に出せたんだろう。
父とまともに話したのはいつが最後だったか。どうせ分かってもらえないと諦めて、言葉を紡ぐことを放棄して、あの日覚えた悔しさすら忘れてしまっていた。
蓋を開けるとギコ、と軋んだ音がする。そっと鳴らしたCは、綺麗な響きだった。
ピアノからもう随分離れたのにこうやって変わらず綺麗な音が出るのは、きっと父が定期的に調律を頼んでくれてたからだ。ピアノを買ってくれたのも、調律を頼んでくれてたのも、父だった。
「帰ってたのか」
「……うん」
「夕飯になったら降りて来なさい」
いつもなら軽く返事をして、夕飯までベッドの上でごろごろしてたはずだ。でも僕は今日、ピアノの傷から10年前の僕の気持ちを受け取ってしまった。
「父さん」
情けなく声が震える。
でも僕はこんなにも大人に近づいて、もうこの気持ちを伝える術を持っている。だから僕に必要なのはきっと、あの日おもちゃの剣を振り下ろした時のような、
ただ伝えたいっていう気持ちだけだ。
「僕、10年前の父の日に父さんに曲作ってたんだ」
忙しくてすぐに聴いてもらえなかった。悲しくて、あの日の僕はピアノを傷つけることしかできなかったけど。
「もしよかったら、聴いてくれない?」
父さんは増えた目尻の皺をより一層深くしてただ一度、頷いてくれた。
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