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十年前の六月、私は幸せの中にいた。
第二子の出産を控えた、誕生月のとある六月。私たちは、父と母、祖母と共に安産祈願に出かけた。
汗をかくような蒸し暑い日で、三歳になった長男が「あるけへんーおじいちゃんだっこー」と父の足にしがみついていた。
高齢の父が疲れれば夫が抱き、「自分で歩こうな」と下ろされては母に抱っこしてと言う。つわりのひどかった私と杖をつく祖母は「ゆうちゃん甘えんぼやなー」と笑っていた。
翌年二月、生まれたばかりの次男を抱え、父が入院する病院に向かった。肺癌ステージ4、余命八ヶ月と聞かされた。
その年の十月、幼子と幼児を抱えてのお葬式が済み、母の一人暮らしが始まった。私たちはこれからのことも考えて実家近くに引っ越す予定を立てていた。長男には「おばあちゃんちの近くの小学校に通うんよ」と話していた。
ところが父の納骨を済ませた翌年一月、母が急病で亡くなった。
事故にあったようなものだと親戚は言った。一年半の間に両親を亡くし、実家を引き払った私の心はからっぽになってしまった。
若く将来への夢あふれた十年前に戻りたいかと言われたら、もう二度とごめんだと答えるだろう。
父と母の話を泣かずにできるようになるまで五年かかった。笑い話にできるまで十年かかった。
祖母に会うといつも思う。祖母の時間はあの日で止まっている。叔母が亡くなったとき、父が亡くなったとき、娘である母が亡くなったあの日ーー
私には子どもたちがいた。日々は否応なく過ぎ、父と母の知らない姿へ成長していく。私は取り残されないように必死に食らいついては倒れ、痛みをこらえて起き上がり、泣きながら目覚めては新しい朝を迎えた。
長く暗いトンネルは一生続くと思っていた。けれど這いずるように生きた先に小さな光があった。それは他人から見れば大したことのない、当たり前の日常。平穏な、大切な人がいなくなる痛みを感じなくていい日々。
先日、夫に聞かされた。「おとんが末期癌らしい。肺癌ステージ4やって」
何の因果かまたあの苦しい日々が戻ってくるのかーー
息子たちは十三歳と九歳になった。手はかかるけれどよく食べて健康で、家のことも手伝ってくれる。きっとみんなで乗り越えられるーー
この先十年、命を見送ることの方が多くなるだろう。けれど家族と共に乗り越えていける、今はそう思える。
ハッピーバースデイ十年前の私。十年後のあなたはきっと、優しい人になっている。
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