iの証明、あるいは悲劇

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iの証明、あるいは悲劇

吹き荒ぶ風は体を切り刻み、照る日差しは容赦なく喉を焼いた。リタの住むこの町は、そんなところだった。 四方を砂に囲まれたこの町は、かつてオアシスだったらしい。イドル様のご加護によって、永遠を約束されたこの地は一気に栄えたと言われている。町は活気づき、一時は都市にまで成長したらしい。だけれども、人間達は愚かだった。オアシスの水を分け合うのではなく奪い合ったのだ。枯れ果てた草木を見たイドル様は怒り狂った。それでも慈悲深い彼女は、人間達が改心することを信じ、一年に一回だけたくさんの雨を降らす事にしたのだ。 「だけどね、アイ。せっかくイドル様が一年に一回大雨を降らして僕たちを助けてくれるのに、町の皆は足りないって言うんだ。」 「足りないの?」 「足りるさ。一年は飲み水に困らないし、三日に一回は風呂に入れるのに。」 リタには両親がいなかった。それどころか友達と呼べる人間さえいなかった。もちろん、親切にしてくれる大人はたくさんいたけれど、町の外れに住むリタにとっては馴染みが薄かった。だから、彼にはアイと呼ばれた少女だけが唯一だった。 「そう、なんだ。」 「アイの家は大丈夫なの?」 「私も、うん。大丈夫。」 リタはアイが誰の家の子供なのか、知らなかった。もしかしたら、自分と同じように両親がいないのかもしれないと感じていた。だけれども、リタにとってそれはどうでもいいことだった。 「ねぇ、リタ。今日も、踊ろう。」 「そうだね。僕、アイと踊るの大好きだよ。」 二人は毎日、日が暮れるまで踊った。喉がからからになって、脚が痛むまでずっと、ずっと。最初は全く踊れなかったリタも、アイと毎日踊っている内にいつの間にか町一番の踊り手となっていた。 この日常が永遠に続く、と。二人は無邪気に信じていた。 だけど ―――「僕が、イドル様に……?」 「あぁ、リタは選ばれたんだ。明日、日が落ちる頃、君はイドル様に捧げられる。リタは町一番の踊り手だから、きっとイドル様も喜んでくださる。」 「光栄な、事だけれども……何故、」 「水が、足りないんだ。例年の雨じゃ……。」 「……そっか。そうだよね。……おじさん、おばさん。今まで本当にありがとうございました……!!」 美しい 「あの子を生贄に捧げるだなんて……!あの子あんなに気丈に……!」 「黙らないか!……私だって辛いさ。だが、代わりにハルシャを捧げる事になってしまったらどうする!」 「!!……そうよ、ね……。我が子が一番大切だわ。」 硝子玉は 「瑠璃をたくさん用意しろ!!早く!」 「イドル様は美しいものが好きに違いない。あの子を綺麗に飾り立てよう。」 「絹を青く染めよう。イドル様は青を愛していらっしゃるからな。」 脆く砕け 「日が、沈んだな。……おぉ!始まったぞ。」 「美しい……!何とも清らかでそれでいて魅惑的な舞!」 「これなら、きっとイドル様は喜んでくださるぞ!……そら、リタの心臓を射ぬけ。身体をイドル様に捧げるのだ。」 ただの砂となった。 「……リタ?」 ない。あの子の気配が、どこにもない。……どこにも? 「……っリタ!!」 あ、 ああ あ *  *  * 「儀式は無事に終わったようだ。ほれ、リタをここへ寝かせてやりない。もうじき、イドル様は現れるだろう。」 「……っ!町長!光が……!!」 「おぉ!あれは神の光だ!!イドル様だ!イドル様が我らの願いを聞き入れてくださっ……あ?」 「リタ!!!!!アイだよ!!どうしたの??ねぇ起きてよ!!リタったら!」 水の神イドルは人の子のちいさな亡骸を何度も揺さぶり、爪を立て、叩いた。だけれども、それは無駄な事であった。イドルは水の神である。人の子一人でさえも生き返らせる事は出来なかった。 「これは、一体どういう事だ……?」 「何故イドル様がリタの名を知っておるのだ!?」 「はて、アイとは……?」 ちいさなどよめきはやがて町全体に広がり、町は大混乱に陥った。イドル様が見ている。亡羊とした瞳でこちらを見ているのだ。背筋を冷たいものが通り、膝が笑い出す。心の弱い者などは、発狂し、二度と正気に戻らなかった。 「リタ、リタリタリタリタ。ねぇねぇもういいよね、よね。わたしリタがいない世界なんていらないよ。堕ちても構わないわ。邪神に成り果ててもいいの。」 「だって、君とは永遠に会えないのだから。」 大切な人形を可愛がるかのように亡骸を抱き上げ、うっそりと頬笑む。町の人々はただ、彼らの様子を呆然と見つめることしか出来なかった。 その晩、すさまじい大豪雨が町を襲った。それは、恐ろしいことに十年も続き、町はおろか、砂漠の大陸ごと海に沈んだのだった。地図の上からその大陸は消え、歴史の闇へと葬られることとなった。邪神イドルは、海の底からずっと地上を見つめていて、今も人間達を恨んでいるらしい。 *  *  * ところで、ここがかの町があった場所と言われるんだが。どうだい?波の音に混ざって声が聴こえるだろう? 船乗りは旅人に話しかける。 なるほど、ここに邪神がいるのは間違いなさそうだ。 ―――リタ、だいすき。あいしてる。 狂気的なまでに無機質なその声色は、天に届くことなく水面にぶり、泡となって消えていった。
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