目の前にあった絆

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目の前にあった絆

起業するなんて、10年前の自分なら考えてもみなかった。 それが、今、自分の他に社員1名とアルバイト、パート1名ずつの小さな事務所を構えている。 今日も目まぐるしい一日が過ぎ去って、相棒と残業終わりの珈琲を酌み交わしている。 かれこれ、自分が前の会社の新人だった頃、色々と教えてくれた先輩が、まさか部下になるとは…。 私より5歳年上で、慣れてきた頃には仕事の意見の食い違いで良く喧嘩もした。 でも、頑固な私が折れないでむすっとしていると、最後は向こうが折れて、「しゃあないな。」って眉をハノ字に下げ、苦笑する。 結局、最後までいつも側にいてくれた。 味方になってくれたのは、先輩だった。 初めて会った時より、お腹も出てきたし、おっさん臭も出てきて、ますますオジサン化が進んでいる。 でも、こんなちっぽけな会社を一緒に作ってくれた。 今更だけど、どうしてだろう。 なんで、ついて来てくれたんだろうか。 起業してから2年、まだまだ赤字続きだけど、 ようやくモノになりそうな案件の締結も決まって、これからって時だった。 「ねぇ、松田さん。なんでウチの会社来てくれたの?」 斜め向かいのデスクで一息ついていた人は、伏せていた目をこちらに向けた。ちょっとだけ目を見開いて。 なんだよ、突然。 と、そう笑って返してくれた。 前の会社にいればもっとお金も稼げた。 やり甲斐のある仕事だって、きっともっと手に入れられたはず。 それを手放すほどの価値があったのかと、疑問に思ったからだ。 そんな風に伝えると、彼は目を閉じてまた開いて、ふっと笑った。 「…瑞季、だったから。お前と仕事すんの何気に楽しかったし。お前が前の仕事辞めて、いなくなって、そういうの気付いたからさ」 懐かしそうに話すその姿には、何故か温かく、じわりと滲むものがあった。 それに、と彼は区切る。 "瑞季がひとりで困ってんじゃねえかって思ったら、退職願い、いつの間にか出してた。" お陰で、刺激のある毎日になって退屈しないわ。 そう、くくっと独特な低い声で笑う彼。 それって、ずるくない? そんなこと言われたら、ちょっと泣けてくる。 起業したばかりの時、何もかも投げ打って勢いで立ち上げた。 でも本当は独りきりで、不安で仕方なかった。 自分で決めた道だと、鼓舞していたけど、上手くいかないことが多すぎて、 会社にいた時、どれだけの人に助けられてたんだろうと。 自分の不甲斐なさと共に、痛感した。 そんな時、起業してから3ヶ月目にマンションの小さなワンルームの事務所にインターホンが鳴った。 モニターを見ると、そこには、牛丼を手提げに松田さんの姿が映っていたのだ。 その瞬間、一気に涙腺が崩壊して、しばらく松田さんを迎え入れることができなかった。 ちょっと待ってて下さい、と言ってから10分ぐらい玄関で待たせてしまった。 ドアを開いた時、 「おい、待ちくたびれたぞ。干からびる」 と戯けてみせて、いつものように大口を叩いた松田さん。 手に持っていた牛丼の袋を持ち上げて、一緒に食べようと、満面の笑みにどけだけ救われたか。 色んな感情が込み上げて、思わず声を上げて笑ってしまったことを今でもよく覚えている。 昔の記憶が蘇ったせいかもしれない。 ジワリと目に溜まったものを気づかれないように。明るく、取り繕う。 「へえ〜!それ相当私のこと好きってことですね!愛されてんなぁワタシ!笑」 これからもきっと私達は変わらずにいる。 ニシシと、冗談めかして満面の笑みを浮かべると、 キャスター付きの椅子を回転させて、彼がこちらに体を向けた。 その表情が、いつになく穏やかで 思ってたのとは少しちがって ちょっとだけ切なそうに 「そうだよ。今更知った?」   それは まるで愛おしいものを見つめるように 少しだけ熱のこもった瞳と目が合った。 確信犯? たぶん、気のせいではないはず。 出会ってから、もう10年近く。 心臓がこれほどドクっと大きな鼓動をしたことはない。 目の前にあった大切な絆は ずっと、そのままだったんだろう。 愛され過ぎて、気付かぬこともある。 私は、たぶん 大馬鹿で、幸せものだ。 END
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