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手際よくシェイカーに氷を入れると蓋をし、勢いよく振る。中の氷がステンレスのそれに当たりカンカンと鳴るのを聞きながらベストなタイミングで用意していたグラスへとカクテルを注ぐ。
ショートグラスの足に指を添えてすっとカウンターを滑らせてゲストの前に差し出した。
「マティーニです」
まずは目で楽しみそれから舌で味わう。カクテルには基本の分量はあるが人にはそれぞれ好みがある。その日の体調や外の気温・季節なども考慮してその分量を少しずつ変え目の前のゲストに一番ベストな状態のカクテルを作り出す。カクテルは数学的なものだ、と聞いた。数滴のライムの絞り汁の違いがカクテルのイメージをがらりと変える。たった1杯のカクテルはゲストにとってはほんの一時のものだとしてもその刹那的な存在がゲストを笑顔へと変えられるのであればこれ程やりがいのある仕事はない。春樹はバーテンダーと言う仕事を本当に愛していた。
「これで春樹に安心して店が任せられるな」
一気に飲み干すとオリーブを銜えながら冬爾が言った。春樹の隣でグラスを拭いていたレイも無言で頷く。
高校を退学した十六の夏。春樹はただぶらぶらと歩いていた六本木で見知らぬ男に声を掛けられてこの店に連れて来てもらった。初めて知る世界に春樹は自分の存在を認めてもらえる場所があることを知った。優雅な仕草でカクテルを作るレイに憧れ後日春樹は店に押し掛けバイトとして雇って欲しい、と生年月日を偽った履歴書を持ち込んだのが3年前。未成年なことはバレていたがレイは咎めることはせずに春樹がここに来るまでの経緯を聞いてくれた。
少し幼い顔立ちの春樹には独特の色気と危うさを感じさせその空気が相手を誘うのだろう。街で見知らぬ人から声を掛けられることはよくあった。両親と姉に甘やかされて育った為春樹は自分を甘やかせてくれる年上を好んで選んでいた。自分の性癖を自覚したのは春樹が中学二年の時。偶然、三年の男子生徒の着替えを目撃し春樹は自身の体の疼きを覚えた。彼のことは春樹もよく覚えている。それが初恋だったから。容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能で誰もが憧れるその先輩は春樹の熱い眼差しに気付き触れてきた。保健室での秘密の情事は先輩の卒業と同時に消滅した。
高校に入学した春樹が出会ったのは三十路を過ぎた化学教師。きっかけは些細な事。教師には妻子が居た。時も場所もわきまえずにお互いを貪るような関係を壊したのは無情にも開かれた扉のせい。まもなく絶頂へと昇ろうとしたその瞬間、春樹はどん底へと突き落とされた。
化学教師は異動を命じられ春樹は自主退学の道を選んだ。男性教師との不倫と言うスキャンダルは両親を鬼と変え春樹は家族と恋人を失った。
総てを打ち明けた春樹はそこで初めて涙を流して泣いた。泣きじゃくる春樹をレイは黙って抱き締め落ち着くまでずっと背中を撫でてくれた。
ロシア人を祖母に持つレイは独特のオーラを持った人間であった。切れ長の目と白い肌は冷たさを感じさせる美しさを持つが彼の中身は全く逆で社会から疎外され心に傷を持つ人間にそっと手を差し出してくれるマリアのような存在だった。彼自身が過去にどんな傷を持っているのかを語ってくれたことは無かったが恋人の存在が今の彼を作ったのだろうと想像出来た。それはよく冬爾が昔のお前は冷酷人間だったからな、と笑いながら言うからだ。冗談交じりに言ってるようだが春樹はそれが真実なのだろうと考えていた。
「春樹?どうかしたのか?」
レイが不思議そうに顔を覗き込んでいた。どうやら少し考え込んでいたようだ。
「何でもないです。店長」
「そっか。じゃ、今日はもう上がっていい。客も引きそうだし」
「はい」
春樹は持っていたグラスを拭き終わるとクロスをたたんで元の場所に戻した。
「春樹、着替えたら一杯飲ましてやるよ」
「ありがとうございま~す」
笑顔で冬爾に応えると事務所へと消える。
「ようやく春樹も冬爾の試験に合格か」
冬爾も以前レイと同じ師匠の元でバーテンダー見習いをしていた過去を持つ。
「春樹はいいバーテンダーに育ってるよ。師匠が良いせいか?」
含み笑いをする冬爾にレイはまんざらでもないらしく否定も肯定もしなかった。
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