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天気は快晴。大安吉日。絶好の結婚式日和だ。この式場が現在予約殺到中のものであることは一緒に飾り付けをしていた姉の同僚から聞いていた。都内の一等地、高台の頂上に建てられたその教会から見下ろせる閑静な高級住宅街は教会周辺の景観を損なわないように細かい規格があるようで美しく統一された一帯は日本ではないような錯覚に陥らせる程であった。
緑の芝生で覆われた庭には白い女神や天使の像が飾られておりいかにもヨーロッパの芸術的庭をイメージさせた。その隅に作られた白い柱と屋根で作られた小さな雨避けのような建物は公園なんかで見かけるベンチを備え付けた休憩所のようなもので柱と屋根には凝った彫刻が施されていた。
煙草を吸うにはいささか落ち着かない雰囲気であるそれに春樹は石畳を踏みながら近づいていく。ふと先客の存在に気付き足を止めた。
鋭角な顎と切れ長の眼に奥二重の瞼、肩幅もしっかりしていて胸板も厚く上背がある分上等そうなスーツが似合いすぎて思わず鼻血が出そうになり鼻先を手で覆った。
備え付けのこれまた凝った彫刻がされた灰皿に煙草の灰を落とす仕草、指先を見つめ春樹は言葉を失う。
今までも理想に近い人間を前にしたことはあったがここまでストライクゾーンにはまった人間は初めてだった。いや、実は冬爾がそうであったがレイの恋人だと知り理想の男から二人まとめた理想の恋人像となっていた。
ドキドキと高鳴る胸の鼓動が相手に聞こえるんじゃないか?と本気で思える程に春樹の動機は速かった。息苦しさをも感じたがそんな事はどうでもよかった。胸に手を当ててじっとその相手を見つめ続ける。
(どうしよう。動けない)
声さえも出ない。それ程までに春樹は動揺していた。
一本の煙草を吸い終える数分の時間が春樹には数時間にも感じられるくらい長く思えた。煙草の火をもみ消し喫煙所から出て来ようと顔を上げる男と目が合った。立ち尽くしている春樹に男は首を傾げる。
「すまない。占領して」
謝りながら男は石畳に立つと春樹の背後に目線が移される。後ろからまもなく式が始まります、と声が聞こえた。
隣を擦れ違おうとする男の腕を春樹はとっさに掴んだ。驚く男に春樹自身も頭の中で混乱していた。何かを言わなければいけないのは分かっていたが思考が正常に作動しない。気持ちだけが急く。何か言わなければ、早く、何か言うんだ!
「なっ、名前」
「名前?」
怪訝そうに春樹を見る男だったが急いで下さい、とまたスタッフに声を掛けられ掴んでいた春樹の手首を逆に掴んだ。
びくり、と思わず手を離す春樹に男はスッ、と腕を引いた。
「水城智だ」
行ってしまう背中を見つめ春樹は大きく息を吐いた。どうやら息を止めていたようだ。
「みずき、さとる…さん」
春樹はそのまましばらくその場で放心していた。
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