冬の日に手紙を認める貴方は

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 灰色の雲が地上に陰を造り、冷えた牡丹を静かに撒いて暖かい家の外を白に塗り重ねている。  あなたは暖房に入り交じる寒気に少し眠気を覚えながら、リビングと空間を共有する書斎の机から一枚の便箋を取り出すと椅子にゆっくりと腰掛けて、誰かに向けての便りを書き始めた。  あなたは時折筆を進める合間に、机に置かれている一枚の写真とその隣に積み重なった封が閉じられた便箋、そして比較的質素な指輪をじっと何か思い詰めるように眺める。  時には唇に指を当て時には頬杖をつき、ゆっくりゆっくりと文字を紡いでいる。  少し牡丹雪が強く降るようになった夕方に、ふいにあなたは訊いてきた。 「これさ、うまく書けているかな」  あなたとこの家で生活を共にする妻に訊いてくる。   「良いんじゃないですか?誰に宛てられた手紙かは分からないけど綺麗に書けていると思いますよ」  あなたはそれを聞くと一瞬口をきつく結んで、その後ペロリと唇をなめた。 「これは、十年前のこの人に宛てた手紙なんですよ」  少し怒っているような悲しんでいるような、霧の混じった声であなたはそう言った。  写真に写る女性を手で示すと、あなたは何も無い部屋の隅に視線を移した  そして半ば独り言のように、昔の話をし始める。 「十年前の今日。私はこの人と雪山に登山をしに行ったんです」 「良質な雪が積もった晴れた日でした。登山日和でした」  あなたはどこか遠くを見るように語り続ける。 「ある程度の経験がお互いにあったので、比較的楽に登頂できたんです。でも、その分油断していました。この人は下山しようとしたその時、足を滑らせて滑落しかけたのです」 「私は咄嗟に手を伸ばしました。何とか掴めたんです。その人の、彼女の手を掴んで必死に引き上げようとしました」  唇が強く噛まれているのが分かる。深くくい込んだ歯があなたの血を滲ませる。  「でも、力が足りなかった。彼女の手は私の手から滑り落ち、しかしこの婚約指輪が引っかかって雪の上に落ちたのです」  「……彼女は奇跡的に助かりましたが、記憶を失ってしまいました。私と恋人だということも。その日のほんの少し前に婚約したということも」  ふいにあなたは私の方をじぃっと見る。  そして私にさっきまで書いていた手紙を手に持ち示した。  「この手紙は十年前の君へ書いている。十年前に失われた君の片割れが、戻って来ることを祈って」  あなたは問うた。  「君はまだ君にもどらないのか」  私は応える。  ──ごめんなさい。
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