彩・うろこ

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 店の名前は「ウロコ」にした。  ロゴマークは人魚のイラストで、うろこを一枚一枚、綺麗な色に塗ってある。  今日看板が設置されて、私は感慨深く、それを眺めている。  もともと料理屋だった店舗を少し改装し、ネイルとヒーリングのサロンをオープンさせる。    十年前、蒸発した父親を捜し当ててこの町にやってきた時は、こんな自分になれるとは想像もしなかった。当時は強がっていたけれど、本当はとても心細かった。  父親を責めてみたところで、その後の暮らしにあてはなく、かといって、母親も祖父も亡くなって独りになった故郷には、戻るつもりはなかった。 『うろこ』  その店に着くと、高揚感を抑え、賭けの勢いで戸口を引いた。けれど、準備中なのか留守なのか、鍵がかかったままだった。  見上げると、二階の窓のアルミサッシに、淡い水色のカーテンが端を挟まれて引きつっていた。  とたんに力が抜けた私は、周辺の商店街をうろうろと歩いた。  三周したあたりで、店の向かいのスナック喫茶のおばさんが、見かねて呼んでくれた。私の爪が綺麗だと何度も褒めながら、コーラをごちそうしてくれた。    ネイルにこだわるようになったのは、故郷で水産加工の仕事をしていたからだ。爪は荒れるし、匂いも消えない。夜、綺麗に仕上げた爪を月の光にあてて眺めるのが、唯一の癒しだった。    おばさんに『うろこ』のことを尋ねると、もう半月ほど、あの水色のカーテンは引きつったままだという。考えた末、娘だと名乗ると、<万が一の連絡先>のメモをくれたが、それは病院だった。    その後、病に伏せる父親の看病をする日々が続いた。    私が六つの時、父親は女と蒸発した。やがて、その相手とは一年で別れ、ひとり日銭を稼ぐために、料理屋に弟子入りし、数年後小さな店をはじめた。  家族には二度と会わないと決めていたらしいが、折に触れ、墓前に花や線香がたてられていたのを、私は知っている。    魚の腹に包丁を当てるのは、私も得意だよと言うと、少し寂しそうな顔をした。  私の爪をしばらく眺めた後、うろこみたいだと笑った。そんな魚がいたら捌けない。でも、お前にすごく似合っている、と。  それが最期の会話だった。    父親を看取った後、スナック喫茶のおばさんの紹介で、ネイルサロンに勤め、十年経って独立が叶った。 「ねえ、十年前の私。父親のうろこ、あなたが引き継いだんだよ」
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